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尾崎士郎『空想部落』を読む(嘘か真かはどうでもいい?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大助は哀れな男である。 愛人に泣きつかれて牛追村から逃げだした。 ところが、数年して、突然、村の仲間のもとに帰って来る。 彼は別人のようになっていた。かつてのしょぼくれた感じは全くなく、彼が生き生き語るところによると、今やアンナン独立のために奔走する身なのだそうだ。 悲劇の王族を匿ったり、そのために刺客につけ狙われたり、海賊の女頭目に助けられたり、張作霖の軍事顧問をしたり、重要な使命を帯びてシベリアに潜んだり・・・と、彼の語る冒険談は尽きることがない。 仲間たちはあんぐり口を開け、大助の話に聞き入るのみだった。

しかし、いろいろ変でもあった。 なぜに、大介は仲間内ではあんなにも饒舌なのに専門家の前では何も語れなくなってしまうのか? それに明らかに話のつじつまが合わなくなるのはどうしたことか?

それでも、友人たちは、ついつい熱気を帯びた大介の話に引き込まれてしまう。 大助への疑惑が高まってきた時も、一人は叫ぶ。

「僕にとつては彼が実際に何をしてゐたかといふことを詮索する必要なんかちつとも無いんだ、もし彼の言葉が全部嘘だつたとしたら、おそらく人生にこんなすばらしいことはあるまいね。おれは一週間でも一日でもあいつの空想に動かされてゐたことを感謝するよ、われわれの人生がいかに彼に負ふところが多いか---考へてみたまへ。」 (『空想部落』より)

彼ら牛追村の住人にとっては、重要なのは情熱だった。 目を輝かせて語る大助を彼らは愛したのだ。 ここは、空想部落。

で、大助は、やっぱり大嘘つきなのだろうか?・・・実はこの小説、最後の最後に、どんでん返しがあります。


『空想部落』 について

尾崎士郎『空想部落』(圭文館版 昭和37年発行)
尾侮m郎『空想部落』(圭文館版 昭和37年発行)

尾侮m郎が38歳の時の作品。 当地とそこに住まう作家たちがモデルになっている(『空想部落』 の作中人物と馬込作家の対応→)。文中の「牛追ホテル」は、大森ホテルがモデルだろう。昭和10年5月から「朝日新聞」の夕刊一面に連載された。 昭和11年新潮社で単行本化(装丁:鈴木信太郎、挿絵:長谷川春子)。 他にも角川文庫版などがある。

昭和14年には映画化。 演劇にもなった。

後年、 『空想部落』 にちなんで、を中心に 「空想部落の会」 という飲み会が、地獄谷の 「鈍魚庵吾作(どんこあんごさく)」 や、「河童亭」の2階でもたれた。名刺まであったとか。 メンバーは関口良雄久保田正文矢部尭一など。


尾侮m郎について

尾崎士郎 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用しました 出典:『宇野千代(新潮日本文学アルバム)』
尾侮m郎 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用しました 出典:『宇野千代(新潮日本文学アルバム)』

社会主義に傾倒
明治31(1898)年2月5日、愛知県横須賀村(現・西尾市)生まれ。三男坊。 小学1年で横浜へ養子に出されるが養家になじめず、1〜2年で横須賀村に戻る。 中学の頃、ドモリを苦にして引っ込み思案になるが、川の堤防で一人発声練習をして、一躍、雄弁家になった。 時々激しくドモルのが“熱意の表れ”のような効果になって人を惹き付けた。 親友の大須賀健治(山川均の最初の妻の甥)を通して 「平民新聞」 や 「へちまの花」 を読み社会主義に興味を持つ。早稲田大学政治科在学中、学長人事に対する抗議行動の中心に立ち(「早稲田騒動」)、大正7年(19歳)には普選運動のリーダーとして投獄された。

同年(大正7年。19歳)、 長兄がピストル自殺。公金の使い込みや、芸者遊びを好み芸者を妻にしたことなどから「放蕩の末の自殺」と報じられたが、は『三等郵便局』という小説で、公金の使い込みは父の代から行われており兄はむしろそれを諌めていたとし兄を擁護、村一番の旦那で疑われなかった父を批判した

その間、生活の資を得るためか「東洋経済新報」や売文社をわたり歩く。 大正8年(21歳)、月謝滞納と長期欠席により大学から除籍された。

文学における「一人一党」を訴える
大正10年(23歳) 、気まぐれで書いた 『獄中より』 が「時事新報」の懸賞小説で2位になり(1位は宇野千代)、文壇から注目される。 同年改造社から出された 『逃避行』 では、早くも社会主義運動に対する疑問が表明された。 その後は、社会主義に限らず、どんな主義や理論も嫌悪し、プロレタリア文学・新感覚派といった文学運動からも距離を持つ。 大正14年(27歳)、 「不同調」 に参加、 「文壇における一人一党」 を訴えた。昭和4年(31歳)、川端康成らと 「没落時代」 を創刊。 同年、川端康成らと 「十三人倶楽部」 も結成した。

国民的作家となる
昭和8年(35歳)上泉秀信のすすめで 「都新聞」 に 『人生劇場』 を連載、一躍国民的作家になった。 『空想部落』 もその頃書かれた。 の関心は、物事の悲劇性や、人物の心理的葛藤や情熱を表現することだった。この頃、小林秀雄も「何でもいい、信じる人がでなくちゃだめだ、ありのままの日本の現実を信じる(昭和12年)」と書いている。こういった“理性的判断が軽視された時代”の空気に、文学は馴染んだといえる。政治的判断を成さなかったので大逆事件や2.26事件といった政治的には対極のモチーフを取り上げることができた。 昭和12年(39歳)、中央公論の戦地特派員として中国大陸にわたり、昭和16年(43歳)には、菊池寛高村光太郎らとともに大政翼賛会協力会の評議員になり、同年、ペン部隊として石坂洋次郎らとともにフィリピンに派遣された。昭和18年(45歳)には、文学報国会の常任理事に就任。

中間小説で返り咲く
敗戦後の昭和23年(50歳)、戦争責任を追及され 「公職に就くことと政治的発言・行動の禁止令」 を受ける(昭和25年解除)。 昭和24年(51歳)、中間小説のブームに乗り、 『ホーデン侍従』(週刊新潮)で再び人気作家となる。

昭和39(1964)年2月19日(66歳)、腸ガンで死去。 2日前まで『小説四十六年』を書いていた。

・・・ざんむきえつくして一抹のこるところなし、人生の紅葉ここにことごとく終る、人情を知つてこれに及ばず、ただむくゆるあたはざるをかなしむのみ(尾侮m郎「病臥日記」の最終部分)

前妻の宇野千代を「人に愛されすぎるというのが唯一の欠点のような男」と評したが、自身、最後の最後まで人を愛することを熱望した。

墓所は神奈川県川崎市の春秋苑と愛知県吉良町の福泉寺( )。

尾侮m郎
・ 「非常に純粋な人で、会って話をしていると、こちらまで、ほのぼのと、心あたたまる」(真船豊

・ 「士郎からは何も学ぶものがない」(山本周五郎

都築久義 『評伝 尾崎士郎』 尾崎士郎 『人生劇場(青春篇)』
都築久義 『評伝 尾侮m郎 尾侮m郎 『人生劇場(青春篇)』

尾侮m郎と馬込文学圏

馬込時代・前期
大正11年暮(24歳)、室伏高信(31歳)を介して、宇野千代(25歳)に会う。その夜から、菊富士ホテル(東京本郷)で同棲を始めた。

翌大正12年には、馬込文学圏(新井宿)の下宿屋 「寿館」に転居、しばらくして、「都新聞」の文芸部長上泉秀信のすすめで現・南馬込4-28-11map→に納屋を改造したバンガロー風の家を作った。 そこは連日、今井達夫藤浦洸榊山潤吉田甲子太郎室伏高信上泉秀信坪田譲治秋田忠義ら酒客でにぎわう。 のすすめで、川端康成牧野信一間宮茂輔なども馬込文学圏入り。 “文士村”の雰囲気が形成された。 うわさが拡散する拠点にもなり彼の家は “馬込放送局” と呼ばれた。 同地在住の萩原朔太郎衣巻省三広津和郎などとも行き来。 宇野千代と別れ古賀清子といっしょになってからは、当地を点々とする。今井達夫宅(現・南馬込2-3-5)の2階に住んだり、 筒井敏雄の世話で 「風々雨々荘」(現・山王1-39)なる家に住んだり、 山王2-1877(38歳。昭和11年〜。現・山王2-37。 天誠書林があった辺り)に住んだり、 現・山王1-22に住んだりした。

通ったバー「白蛾」
昭和7年春頃(34歳)、大森駅東口のバー「白蛾」のマダム星野幸子と親しくなり、彼女との関わりを 『青い酒場』 『悪太郎』 『売れた酒場』 といった 「白蛾もの」 に書く。

馬込時代・後期
戦中、伊東に疎開するが、昭和29年(56歳)、再び馬込文学圏(現・山王1-36-26。現在 「尾侮m郎記念館 ※リンク→」 になっている)に戻り、そこで没した。

他のと関わりのある馬込作家をあげると、添田知道。 彼とは売文社時代の同僚。 高見順とは 「文学非力説論争」(昭和16年)した仲。 長女の一枝さんはエッセイストとして活躍されている。

作家別馬込文学圏地図 「尾侮m郎」→


参考文献

● 『評伝 尾侮m郎』(都築久義 ブラザー出版 昭和46年) P.36-38、P.47-50、P.75-78、P.114、P.178-180、P.354 ● 『パンとペン』(社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い)(黒岩比佐子 講談社 平成22年発行) P.348 ● 『馬込文士村の作家たち』(野村裕 非売品 昭和59年) P.179-183 ● 『山本周五郎 馬込時代』(木村久邇典 福武書店 昭和58年) P.59 ※が通った老松小について ●『関口良雄さんを憶う』(夏葉社 平成23年) P31-32 ※「空想部落の会」について ● 『文壇資料 馬込文学地図』 (近藤富枝 講談社 昭和51年)P.17-32 ● 『大田文学地図』 (染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年) P.55-62 ●『馬込村文芸の会 十年の歩み』 P.82 ● 『空想部落』(尾侮m郎 圭文館 昭和37年) ※あとがき ●「尾侮m郎記念館」 パンフレット ※年譜 ●『尾侮m郎全集 第六巻』(講談社 昭和41年発行) P.7-24 ●『日本浪漫派批判序説(講談社文芸文庫)』(橋川文三 講談社 平成10年初版発行 平成24年7刷参照)P.19


参考サイト

早稲田と文学/ 尾侮m郎→

西尾市役所/教育・文化・スポーツ/教育・文化/資料館等/尾侮m郎記念館→

今日のことあれこれと・・・/「瓢々忌」小説家・尾侮m郎の忌日→
 ※瓢々忌や『人生劇場』について


謝辞

・ S.Y様から、映画 「空想部落」 の上映情報、 「空想部落の会」 の会場になった飲み屋 「吾作」 についての情報をいただきました。 ありがとうございます。

※当ページの最終修正年月日
2018.4.13

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