柿村保吉(かきむらやすきち)・・・この人物は、児童文学者であり翻訳家の吉田甲子太郎(よしだきねたろう)に似ている。前述したように、その点について吉田は著者・尾崎士郎にクレームをつけたという。柿村保吉は小説の中で「村長」と呼ばれているが、吉田も馬込文士村で「村長」と呼ばれていた。「口をへの字に曲げる」あたりも似ているのだと思う。
浮谷善兵衛・・・この人物は著者の尾崎士郎自身がモデルだろう。浮谷善兵衛は小説の中で「放送局」に住んでいることになっているが、尾崎の馬込の住まいも「馬込放送局」と呼ばれていた。うわさ話に尾ひれをつけて吹聴するので「放送局」の名が冠せられたとのことだが、浮谷は性格的にも尾崎に似ているように思う。
横川大助・・・この小説の主人公だが、馬込の家を突然捨てたという点が、秋田忠義に似ている。秋田は改造社の名物編集者で、相対性理論のアインシュタインを日本に招聘する際、ドイツまで迎えにいった人物だ。世界を股にかけている点でも、少々大助に似ている。また、出版界で一山当てようとするがさんざんな目に合う大助は、『キリシタン文献叢書』の出版を出版社に売る込むが途中で頓挫した吉田甲子太郎の面影も宿す。
坂貫源平・・・坂貫源平は、榊山
潤と東郷青児が合体したような人物だ。小説の中の一つのエピソードに、坂貫が木に登って景色を眺めていたら、木の下に男女が来て、愛の行為を始める、彼は木から降りるに降りられなくなって大変な思いをするというのがある。榊山は、同じ体験を自身のものとして『馬込文士村』に書いている。ところが、坂貫は画家である。「二科系の洋画家」で「巴里からかへつたばかり」といえば東郷青児。
香島満子・・・大助の愛人で、逃げようとする大助を追っているこの人物にも、複数の人のイメージが重なる。榊山
潤の『馬込文士村』によると、弁天池(現、山王4丁目)の近くに、自分から逃げようとする大学生を硫酸の瓶を隠し持って追いかける女がいたというが、彼女のイメージ。それに、「酒場のマダム」で「共産党の大立者」を夫に持つといえば、かつて大森駅の東口にあった「白蛾」というバーのマダム、星野幸子のイメージが重なる。
黒住長彦・・・松沢太平がモデルだろうといわれている。彼は弁天池近くで「チップトップ」という本屋を営んでいたが、馬込の作家たちの動静によく通じていたことでも知られている。喧嘩っ早いところも似ているかもしれない。
平飛高次郎・・・「若い評論家」として登場するこの人物は、室伏高信がモデルだろう。2つの名前を並べると、「高」が共通するだけでなく、「平」が「伏」に近い意味を持っていることに気がつく。
浦野空白・・・この詩人のモデルは、萩原朔太郎だろう。「ダンスは家庭生活の倦怠を脱れる唯一の方法」と語って自宅を開放してダンスパーティを開いていたといえば馬込文士村では朔太郎以外に考えられない。
草上滋子・・・浮谷が尾崎士郎なら、浮谷の妻の草上滋子は宇野千代ということになる。「丈なす黒髪を断ち切つてモダンな洋装に一変した」という点も符合する。
高松一郎・・・浮谷善兵衛が引き連れているこの人物は、「こんどこつちへ引つ越してきた新進作家」「青年らしい精悍さが神経質な表情をひきしめてゐる」という箇所から川端康成と想像される。浮谷、つまり尾崎士郎と親しいという点も川端と同じだ。
あと、小説に登場する建物のモデルを考察すると、
カスミ軒・・・柿村保吉がぶらりと立ち寄る2階の飲み屋といえば、環状7号線の馬込東中の近くにあったという中華料理屋がモデルだろう。馬込文士たちはその中華料理屋の2階でよく酒を飲んでいたという。
牛追・・・この小説の舞台だが、「馬込」という地名をひっくり返したのではないだろうか。馬→牛。込める(入れる)→追う。
牛追ホテル・・・変貌して戻ってきた大助が泊まったホテル。馬込近辺にはかつて、望翆楼(ぼうすいろう)ホテルと大森ホテルという2つのホテルがあったが、新しくできたホテルということなら大森ホテルの方だろう。『空想部落』は大正末から昭和の初期にかけての物語だが、大森ホテルは大正11年開業とのことなので、ほぼ一致する。
参考サイト:
失われた日本のホテル→
※東京の項で、大森ホテルの絵を見ることができる。
と、ここまで書いてきて、著者の尾崎士郎がいうようにやはりモデル探しはあまりよくないのかな、と思えてきた。モデルのイメージで登場人物や景色のイメージが限定されるとしたら、小説をちっぽけなものにしてしまう。・・・しかし、モデル探しも楽しくて・・・