![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||
![]() |
|
|||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||
![]() |
昭和9年、 「劇文学」 の創刊号に掲載された真船 豊(32歳)の戯曲。 真船が当地(東京都大田区南馬込五丁目11-4 map→)にいた頃の作品。 正宗白鳥や中村武羅夫から激賞され出世作になる。久保田万太郎の演出で創作座の旗揚げで公演され、人間観察の鋭さに驚きの声が上がる。 近年にいたるまで複数の劇団が取り上げ続ける古典的名作。初の戯曲集「鼬」には、『鼬』のほか、その10年後を描いた『山参道』も収録されている。今度はおとりが母(劇団新派で花柳章太郎が初演)のような立場になる。
![]() |
![]() |
| 民藝『鼬』公演(平成元年)プログラム。母(おかじ)を北林谷栄、おとりを斎藤美和、古町を入江杏子 | 青年劇場のチラシ(平成20年公演) |
![]() |
![]() |
| 東京ノーヴィ・レパートリーシアター第2スタジオのチラシ(平成25年公演) | シス・カンパニー『鼬』公演(平成26年)プログラム。おとりを鈴木京香、母(おかじ)を白石加代子 |
![]() |
真船豊 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:こおりやま文学の森/郡山ゆかりの作家/真船 豊→ |
空想癖の強い腕白な少年
明治35年2月16日(1902年)、福島県郡山市
放浪と人間観察
13歳の頃、養子として北海道に行くが、養家の変心により実家に戻る。 大正4年(14歳)上京、市ケ谷辺りに住んで早稲田実業で学ぶ。 東都中等学校剣道大会で一等を取る。友人や兄の影響で歌舞伎、新派劇、講談、寄席、西洋音楽、哲学書に熱中。早稲田大学英文科に進み、シングなどのアイルランド文学に親しむ。 師事したのはシェークスピア研究家の横山有策。 「早稲田文学」 に発表した戯曲 『寒鴨』 『村はずれ』 を秋田雨雀に激賞された。
大正12年(21歳)、卒業間際に早稲田を退き、北海道で牧夫となり、感化院「家庭学校」(北海道紋別郡
「人間風刺」へ
昭和9年(32歳)、戯曲『鼬』を書く。 以後、金貸しの悲喜劇を描いた『鼠落し』 、 ベートーヴェンのピアノ・ソナタの構成を大胆に取り入れた『鉈』 、表面的な面白さを削ぎ落とした『孤舎』、 「気が変なんじゃないか」 とまで酷評された『鬼怒子』、左翼思想と美への憧れのせめぎ合いを書いた『山の湖』などの戯曲を書き、花柳章太郎、市川左団次、千田是也などから支持された。 方言も果敢に取り入れる。風刺劇『遁走曲』を書く。
精神の安定を得て、新境地へ
戦時体勢下は(無難に?)、人間の美しさ描く。北満州開拓団について書いた『北斗星』は当局から一部削除を命じられたが応じなかった。戦中、隣組からの圧迫を逃れ、中国に避難。新京(満州の首都)で会った甘粕正彦(大杉 栄を虐殺したとされる男)の寂しい印象を戯曲『赤いランプ』に書く。 北京で終戦を迎える(43歳)。
戦後、青山の家は空襲で焼けたので北鎌倉の円覚寺の離れに住む。 敗戦の思いを吐き出した『中橋公館』を書く。「真船 豊書斎劇場」を主宰。
昭和52(1977)年 8月3日、75歳で死去。 墓所は、祥雲寺(東京都港区広尾)( )。
![]() |
| 真船 豊 『孤独の徒歩』。自伝 |
昭和6(29歳)、神田神保町の版画屋の娘と駆け落ちさながらに当地(東京都大田区南馬込五丁目11-4 map→)に所帯をもつ。 翌年長男の禎が誕生。 雑誌「演芸画報」に書いて月々15円稼いだので「大森十五」と名のる。妻が出産後に病み、子どもの世話と家事をしながら、夜を徹して『鼬』を書いた。当地の山王二丁目にも住み、佐藤観次郎や尾﨑士郎と親交。東馬込二丁目(「東馬込児童公園」(東京都大田区東馬込二丁目17-10 map→)あたり))にも住んだ。当地には、昭和13年5月(36歳)に神奈川県藤沢鵠沼に転居するまでの約7年間住んだ。
病身の妻を診てもらったのが、大森駅近くにある平井医院。後年、自身が神経衰弱になった時も鵠沼からはるばる通ってきた。
●『孤独の徒歩』(真船 豊 新制社 昭和33年発行)P.165-168 ●『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年発行)P.82-84 ●『馬込文士村の作家たち』(野村 裕 自費出版 昭和59年発行)P.229-235 ●『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』(東京都大田区立郷土博物館編・発行 平成8年発行)P.64 ●座談会 『昭和文学史 二』(井上ひさし・小森陽一編 集英社 平成15年発行)P.196 ●『大森区詳細図』(東京地形社 昭和8年) ●『馬込文士村 〜あの頃、馬込は笑いに充ちていた〜(特別展カタログ)』(制作・発行:東京都大田区立郷土博物館 平成26年発行)P.91(東馬込二丁目から出したハガキの住所)
●早稲田と文学/真船 豊→ ●福島県立図書館/児童図書研究室/福島の児童文学者/真船 豊→ ●こおりやま文学の森/真船 豊→ ●神奈川近代文学館 /web資料室/神奈川文学年表/昭和11年~20年→ ●ウィキペディア/北海道家庭学校(平成30年8月27日更新版)→
● A.S様から、「鼬」の上演情報と誤記のご指摘をいただきました。 ありがとうございます。
● M.T様から、墓所の情報と励ましのお言葉をいただきました。 ありがとうございます。
※当ページの最終修正年月日
2025.4.22