●『一千一秒物語』・・・大正12年、金星堂から発行。稲垣足穂(いながき・たるほ)19歳の時の作品。佐藤春夫が序文を書いている。
足穂はやたら攻撃的だ。
足穂を世に出した佐藤春夫のことは悪人だからといってさっさとその元を去っていったし、足穂にぞっこん惚れ込んだ三島由紀夫にも「(三島の創作には)ドキッとするものがないや」とそっけない。小林秀雄には「ニセ者」とレッテルを貼り、川端康成は「千代紙細工」、漱石・鴎外さえも「書生文学」でしかなく、幸田露伴だって「学者」で、永井荷風は「三味線ひき」で、吉行淳之介と安岡章太郎は「もたれ合いでマスをかいてる」となる。大江健三郎のことだって「自分のものは何にもない」とこき下ろしたという。足穂にかかると、大文学者も形無しだ。
足穂の攻撃対象は文学者に限らず、彼の身近にいた人たちもことごとく彼の舌の被害に遭った。晩年の足穂と生活を共にした足穂夫人などは特に酷い目にあったと聞く。
また、この攻撃性が彼の創作にも波及しているのが面白いと思った。この『一千一秒物語』は彼が十代で書いたものだが、ここでもう彼の攻撃体質が表れている。何とまあ、『一千一秒物語』の登場人物の男は、星や月にまで攻撃を仕掛けるのである!
・・・それは空からおちて死んだ星であった
なんだ つまらない! 窓から捨ててしまった
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「今晩もぶらさがっていやがる」
石を投げつけるとカチン!
「あ痛 待て!---」
お月様は地に飛び下りて追っかけてきた・・・
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ある晩オペラからの帰り途に、自分の自動車が街かどを廻ったとたん、流星と衝突した
「じゃまするな!」
それでもって、攻撃された星や月はどうしたかといえば、男の持ち物を隠したり、部屋に侵入して脅かしたり、突き飛ばしたり、はり倒したり、と彼らだって負けてはいないのだ。
そうだきっと、足穂はこのように反撃を期待していたんだ。だから、足穂に攻撃された人たちは、『一千一秒物語』の星や月のように、やり返せば良かったんだ。泥を投げつけられたら投げ返す。そして、また投げる。そんな泥んこ遊びのような無邪気な遊技が、きっと足穂のお気に入りなのだ。
いや、しかし待てよ。足穂と喧嘩じゃ、そうとう消耗しそうだ・・・。
結局のところ、足穂の相手が務まるのは星や月ぐらいなのかもしれない・・・
『一千一秒物語』を読むには
最初に出版された『一千一秒物語』(大正12年 金星堂)
『一千一秒物語』(昭和38年 作家社、初版を復刻したもの)
『新潮文庫 一千一秒物語』(昭和44年初版、平成17年現在41刷)
『一千一秒物語』(昭和62年 木馬舎、初版が再録されている)
『一千一秒物語 イナガキ・タルホ
一篇一冊物語双書』
(平成2年 透土社)
『一千一秒物語』
(平成6年 リブロポート、イラストレーターむらたしげるが絵本化したもの)
『一千一秒物語』(平成15年 ブッキング、 の再版)
『一千一秒物語』(筑摩書房 平成17年)
などで読むことができる。
■『一千一秒物語』が読める図書館
・国立国会図書館→(       を所蔵)
・東京都大田区立馬込図書館→( を所蔵)
その他、日本全国の多くの図書館に所蔵されていると思う。
※ 神奈川近代文学館(サイト→
)には、『一千一秒物語』の草稿<ペン書き66枚>と、「『一千一秒物語』赤鉛筆の由来」の草稿<複製>)が所蔵されている。
稲垣足穂について
飛行家に憧れた幼少期
明治33(1900)年、大阪で生まれる。飛行家に憧れ、13歳で飛行機の同人誌雑誌を発行。関西学園在学中、複葉機も制作している。
モダンボーイともてはやされていたが・・・
大正12年(19歳)、『一千一秒物語』を上梓、評価される。その頃の足穂は、モダンボーイとして女学生などから人気があったようだ。しかし、後に酒に溺れ、知人宅に転がり込みながら辛うじて生き延びるといったギリギリの生活を送るようになる。15年間、布団さえ所持せず、カーテンにくるまって眠っていた。7日間絶食したこともあるという。
戦後、再評価される
戦中と戦争直後は目立った活動がなかったが、昭和43年(68歳)、『少年愛の美学』で第一回日本文学大賞を受賞、文壇へ再び現れる。その時「日本文壇が足穂に追いつくのには時間がかかった」という声も挙がった。足穂を強く押したのは三島由紀夫だった。
夫人の命日に死ぬ
稲垣夫人が亡くなったちょうど2年後の昭和52(1977)年10月25日、死去する。77歳だった。
現在、 京都法然院で眠っている(
)。
足穂足穂と馬込文学圏
昭和5年(30歳)頃、佐藤春夫の家を追い出された足穂は、関西学園で一級下だった衣巻省三の家(南馬込4-31-6)に転がり込んで半年ほど居候する。朝から酒を要求する足穂に、衣巻はウンザリだったようだ。当時、衣巻も同人だった「文芸レビュー」の伊藤
整らが衣巻家に集い、そのおりに彼らも足穂に会っている。
その後、足穂は、巣鴨、明石と移動してしばらくはそこで暮らすが、昭和11年(36歳)の暮、衣巻家に舞い戻ってきてしまう。2度目の衣巻家での居候生活については足穂の「馬込日記」に詳しい。この居候期間に、足穂は飛行機か何かの模型を作っている。また、衣巻の息子には物語を読んで聴かせたり、話し相手になったりと、なかなか“いいおじさんぶり”だ。しかし、相変わらずの酒びたりで、見かねた室生犀星に説教されて泣き出すという一幕もあったとか。
ちなみに後年、衣巻省三の方が貧しくなり、京都にいた足穂に頼っていっている。人の悪口の多い足穂であったが、衣巻の悪口はいっさい言わなかったという。

| 足穂が転がり込んだ衣巻省三邸付近 ※2000年頃撮影 |
馬込文学圏の「稲垣足穂」関連地図→
●別冊一億人の昭和史『昭和文学作家史』
(毎日新聞社 昭和52年)P.216-219
●『東京きらきら日記』
(稲垣足穂 潮出版社 昭和62年)
※「馬込日記」 p.217-132
●『夫 稲垣足穂』
(稲垣志代 芸術生活社 昭和46年)
●『大田文学地図』
(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年)P.90
●『馬込文学地図』
(近藤富枝 講談社 昭和51年)P.65-72
●『馬込文士村の作家達』
(野村 裕 昭和59年 非売品)P.199-209
参考サイト
●松岡正剛の千夜千冊/稲垣足穂の『一千一秒物語』→
●文学者掃苔録図書館/稲垣足穂→
●一千一秒物語(作家
稲垣足穂HP)→
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2008.2.16
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