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Japanese version only. |
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| 稲垣足穂の『一千一秒物語』を読む
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| 新潮文庫版 『一千一秒物語』 |
稲垣足穂が19歳頃から手がけた作品(※1)。 大正12年(23歳)、金星堂から発行された。 佐藤春夫が序文を書いている(※2)。
人間や星や月が登場する、荒唐無稽で、かつモダンな作品。 足穂は後年、自身の作品は全て 『一千一秒物語』 の注釈に過ぎないとまで語った。
昭和38年には作家社から復刻版が出る。 その他にも、新潮文庫版(昭和44年)、木馬社版(昭和62年)、透土社の 「一篇一冊物語双書」版(平成2年)、筑摩書房版(平成17年)などがある。 絵本もある(平成6年 リブロポート)。
※1 : 神奈川近代文学館には、ペン書き66枚の草稿が所蔵されている。
※2 : 佐藤春夫の序文から。 「---音話の天文学者---セルロイドの美学者---アスファルト街上の児童心理学者---ゼンマイ仕掛けバネ仕掛けの機械学者---奇異なる官能的レッテルの蒐集家---そうして、アラビアンナイトの荒唐無稽---をまんまとシガレットのなかに 封じ込めたのだぜ? 誰が? イナガキ、タルホがさ」
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| 稲垣足穂 ※馬込文士村レリーフより |
飛行家に憧れる
明治33(1900)年12月26日、大阪の歯科医の次男として生まれる。小学生の時、祖父母のいる明石に移住し、神戸で育った。 関西学院普通部では今東光と同級だった。 飛行家に憧れ、13歳で同人誌 『飛行画報』 を作る。 大正5年(16歳)、羽田の日本飛行機学校の第一期生に応募するが、近視のため不合格になる。 関西学院卒業後、神戸で複葉機の制作に携わる。
モダンボーイともてはやされたが・・・
大正10年(21歳)、 『一千一秒物語』(大正12年上梓)の原稿を佐藤春夫に送付、認められて師事する。 佐藤の仮寓先の離れに住むがしばらくして追い出され、その後、渋谷の道玄坂・神泉をへて、アパート 「恵比寿倶楽部」(東京目黒)にいた関西学院で一級下だった衣巻省三の元に居候する(※1)。大正11年(22歳)には 「チョコレット」「星を造る人」 を書く。大正12年頃(23歳)、「ダンシングパビリオン(※2)」(東京西巣鴨新田)に住み、そこで多くの作品を書いた(「天体嗜好症」「童話の天文学者」など)。 「文芸時代」 に迎えられ、新感覚派の一人に数えられた。 代表的なモダンボーイとして女学生などから人気があったのもその頃。、大正15年(26歳)には 『星を売る店』 、昭和3年には 『天体嗜好症』 を刊行した。
※2: 「ダンシングパビリオン」 の経営者の池内徳子は日本の社交ダンスの草分け。 衣巻が池内にダンスを習っていた関係で、足穂にもつながりができたもよう。 「ダンシングパビリオン」 には萩原朔太郎、室生犀星、宇野千代なども顔を出した。
昭和6年(31歳)頃、身内に不幸があり、明石に帰郷。 古着屋を経営するが失敗した。昭和11年(36歳)暮、再々上京する(※3)。 アルコールとニコチン漬けになり、文章もあまり書かなくなった。 貧窮し、15年間、布団さえ所持せずカーテンにくるまって眠り、7日間絶食したこともあったという。
※3: 帰郷してしばらくして再び上京して滝野川南谷端の 「中野アパート」 に住んだようだ。 帰郷する前から住んでいて戻ったのかもしれない。 参考サイト:・ inagaki taruho archives/年譜/西巣鴨新田時代→ ・ 弐千弐秒物語/いかさま師の印の付いたトランプ 〜 稲垣足穂 〜/稲垣足穂略年譜→
戦後、再評価される
昭和25年(50歳)、篠原志代と結婚、京都に住む。 かつての作品の改稿を進め、精力的に発表し始める。 昭和43年(68歳)、三島由紀夫の後押しもあり、『少年愛の美学』 で第一回日本文学大賞を受賞。 翌年から全集が作られはじめ、タルホ・ブームが起こる。
志代夫人が亡くなってからは自作を耽読する日々を送る。 2年後の昭和52年10月25日、結腸癌に急性肺炎を併発して、死去する。満76歳だった。 墓所は京都法然院( )。
昭和11年(36歳)暮、再び上京して転がり込んだ先が、また衣巻省三のところだった。その頃、衣巻は馬込文学圏(南馬込4-31-6)にいた。
ここでの足穂の動静は 「馬込日記」 (昭和12年「文芸」)に詳しい。 衣巻家では、飛行機の模型を作ったり、衣巻の息子に物語を読んで聴かせたり話し相手になったりと、なかなかの “いいおじさん” ぶりだ。 しかし、酒びたりは相変わらずで、見かねた室生犀星(47歳)に説教され、泣き出す一幕もあった。郵便物を犀星宅気付で受取っていた。 「文芸レビュー」 の伊藤整らも衣巻家で足穂に会っているが、いい印象を持たなかったようだ(※4)。
※4 : 伊藤整の 「作家論」より。「私は稲垣足穂と深い交わりは持っていないし、勿論持つことを望んでいない。 深い交わりを求められても拒絶するつもりである。 ・・・稲垣足穂には私たちの先輩のエスプリ、ヌーボオーとしての気位くらいはあつたが、失礼な言い方だが衣巻家のカカリウドという感じだった。 色の黒い面長な顔は人情というものを拒否するような無表情を持ち続け、始めて逢った私たちに、親しげに彼がその顔で話しかけて来ることが不気味であった。」 (※ 『馬込文士村の作家たち』 P204-205からの孫引き)
衣巻のところに半年ほど居候し、東京牛込区横寺町の旺山荘アパートに落ちつく。
戦中、空襲で衣巻が家を焼かれ零落すると、反対に、京都にいた足穂を頼った。 人の悪口が多い足穂だったが、衣巻の悪口は言わなかったという。
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| 足穂が転がり込んだ衣巻省三邸付近 ※2000年頃撮影 |
・ 別冊一億人の昭和史 『昭和文学作家史』
(毎日新聞社 昭和52年) P.216-219
・ 『東京きらきら日記』(Amazonで詳細を見る→)
(稲垣足穂 潮出版社 昭和62年) ※「馬込日記」 p.117-132
・ 『夫 稲垣足穂』
(稲垣志代 芸術生活社 昭和46年)
・ 『大田文学地図』(Amazonで詳細を見る→)
(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年) P.90
・ 『馬込文学地図』(Amazonで詳細を見る→)
(近藤富枝 講談社 昭和51年) P.65-72
・ 『馬込文士村の作家たち』(Amazonで詳細を見る→)
(野村 裕 昭和59年 非売品) P.199-209
・inagaki taruho archives/年譜/西巣鴨新田時代→
・ 弐千弐秒物語/いかさま師の印の付いたトランプ 〜 稲垣足穂 〜/稲垣足穂略年譜→
※当ページの最終修正年月日
2012.2.6