●『らんぷの絵』・・・作詞家の藤浦 洸のエッセイ集。昭和47年、東京美術より発行された。
この本の著者の藤浦 洸の「洸」は、どう読むでしょう?
ちなみに「こう」ではないのです。
藤浦は、あまり使われない漢字「洸」を名前に持ったために、いろいろ苦労した。「洸」の活字がないために雑誌に作品が掲載されなかったり(名前を平仮名書きにしたら掲載されたらしい)、わざと誤読してからかわれたり(藤浦青年は先輩作家たちから「恍さん(ぼけさん)」とか、「絖さん(ぬめさん)」と呼ばれていた)。
しかし、一番痛かったのは、罪のない誤読であった。藤浦少年は、転任してきたばかりの教師に「洗(あらう)」と呼ばれてしまった。それ以来喧嘩相手の子どもから「あらう!」「あらう!」とからかわれるのだった。
藤浦は「あらう」と呼ばれるのが、ことのほか辛かった。
なぜなら、その頃、彼は、祖母との貧しい二人暮らしで、祖母は人様の汚れ物を洗濯する仕事で二人の生活を懸命に支えていた。「あらう」とからかわれる時、彼は祖母や祖母の仕事まで侮辱されているように感じたという。
しかし 、これには後日談があって、
中学三年のとき、祖母が八十歳の高齢で死んだ。死ぬ前日まで、ぴんぴんしていて、相変わらず他人の汚れ物を洗っていた。手で汲む井戸なので、転んで胸を打ったのが原因だった。私はそのとき「ふじうらあらう」といわれても、もう悲しむまいと決心した。
(『ランプの絵』の「名前の自叙伝」より)
ということである。
「洸」にまつわる笑い話もある。
「洸」の字は、正しい読み方ではないが「こう」と読まれ、それが定着してしまう。後年、藤浦はよくテレビ出演するようになるが、そこでも「ふじうらこう先生」と呼ばれていた。多くの文献が、藤浦の名に「こう」とルビをふっている。そうこうするうちに、「洸」を正しく読む人なんて、誰もいなくなった。
と、そんなある日、藤浦の従兄弟が藤浦家を訪ねて来る。従兄弟は藤浦の名を正しく読んで「●●●は、家にいるか?」と藤浦の妻に尋ねた。しかし、藤浦の妻は首を傾げてしまう。そして真顔で「そんな名前の人は知らない」と答えてしまったというのだ。つまりは、藤浦の妻までが「洸」の正しい読み方を忘れてしまっていた!
さて、「洸」の正式の読み方はといえば、
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「たけし」である。
これは読めませんね(笑)。
以上、『らんぷの絵』の中にあるエッセイ「名前の自叙伝」からのお話である。
『らんぷの絵』にはこういった、時にホロリとき、時にはニヤリとくる美味しい話がいろいろと収められている。
『らんぷの絵』を読むには
『らんぷの絵』(東京美術 昭和47年)は
・国立国会図書館→
・東京都大田区立馬込図書館→
・東京都立多摩図書館→
などで読むことができる。
藤浦 洸について
小説を書いたりピアノを弾いたり
明治31(1998)年9月1日、長崎県平戸で生まれる。同志社大学神学部に入学するが1年で中退、3年間の放浪の末、慶応大学に入学した。在学中、児童小説を書いたり、オペラ館のピアノ奏者をしたりしたという。
人気作詞家となる
卒業後、詩人として出発するが、しばらくしてコロムビア レコードに所属して歌謡曲の作詞にいそしむ。『別れのブルース』(昭和12年 淡谷のり子)や『悲しき口笛』(昭和24年 美空ひばり)などが大ヒットで人気作詞家になった。「ラジオ体操の歌」も藤浦の作詞とのこと。
NHKの「二十の扉」「私の秘密」のレギュラーとしても活躍。タレント作家の走りといえるかもしれない。
昭和54(1979)年3月13日、80歳で死去した。現在、長崎県平戸市の雄香寺(ゆうこうじ)に眠っている(
)。
藤浦 洸の馬込文学圏時代
慶応大学(文学部教授に小島政二郎がいた)を卒業後しばらく谷中(山王4丁目。今ダイヤモンドマンションが建っている辺り?)に住んでいたようだ。大学の後輩の今井達夫らと“尾崎士郎のサロン”に集っていたようなので、谷中住まいの期間は、大正末から昭和の初期にかけてだろう。藤浦が集った頃の“尾崎士郎のサロン”
などでの酒盛りの面々には、尾崎士郎の今井達夫の他に吉田甲子太郎・榊山
潤・山本周五郎・保高徳蔵・牧野信一らがいた。
馬込文学圏時代の藤浦は詩人として芳しい活躍がなかったようで、近所で家庭教師をしながら日々の糧を得ていたようだ。他の作家が藤浦を評するところによると、「貧しいわりの高級志向」。藤浦は高級犬のテリアを飼ったり、当時では珍しい8ミリカメラを回したりしていたという。でも貧しいのには変わりないので、病気で入院したテリアの入院費が払えず病院にテリアを取り上げられてしまったり、8ミリカメラはあってもフィルムが用意できなかったりといったこともあったという。また、藤浦の伝染性のある「貧乏ゆすり」と「顔の皺」が印象的だったようだ。
参考文献
●『馬込文士村』
(榊山 潤 東都書房 昭和45年)P.14-15
●『文壇資料 馬込文学地図』
(近藤富枝 昭和51年 講談社)P.27
●『馬込文士村ガイド』
(大田区立郷土博物館編 平成8年)P.60
参考サイト
●ウィキペディア>藤浦 洸→
●ウィキペディア>淡谷のり子→
●ウィキペディア>美空ひばり→
謝辞
藤浦 洸の生まれ故郷、平戸にご在住のあごかぜ 様から、藤浦 洸の命日や墓所について貴重な情報をお寄せいただきました。ありがとうございます。
※あごかぜ様のWebサイト 町田美装工芸社→
このページのパス
http://www.designroomrune.com/magome/h/fujiura/fujiura.html
※当ページの最終修正年月日
2007.9.20
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