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アインシュタインと日本(大正11年11月17日、アインシュタイン、日本に到着)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来日時のアインシュタイン ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用しました 出典:サイエンスクェアQ/世界物理年2005記念イベント「子どももおとなも楽しめるアインシュタインの宇宙」→

 

大正11年11月17日(1922年。 アインシュタイン(43歳)が、妻のエルザといっしょに、客船「北野丸」で神戸港に入港しました。改造社社長の山本実彦(37歳)や、長岡半太郎(57歳)らが出迎えています。

日本に向かう船上で、アインシュタインのノーベル物理学賞受賞が決定したことでさらに注目され、東京駅に着いたときには、数万人が押し寄せて、夫妻は30分間身動きできなかったそうです。

夫妻は以後43日間日本に滞在し、日本文化を堪能するとともに、各地で講演。日本にアインシュタイン・ブームがおきます。

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アインシュタイン来日の立役者は山本実彦です。東北帝国大学の 石原純いしわら・じゅん (41歳)と京都帝国大学の西田幾多郎(52歳)に相談し賛同を得たことで、話が急速に進んでいきました。

山本は、シベリア出兵(ロシア革命後の諸国干渉軍。日本が一番兵を出し、最期まで兵を引かなかった)時のシベリアを調査して大金を手にし、それを元手に一度失敗した総選挙にまた出るつもりで個人宣伝用の雑誌を作るつもりでしたが、いっそ、「中央公論」「太陽」といった総合雑誌を出そうではないか、ということになって「改造」が出版します(大正8年創刊)。3号までは返品の山でしたが、第4号は編集員の秋田忠義横関愛造(32歳)が中心になって、 「労働問題・社会主義」を取り上げて、大ヒット。ロシア革命があり(大正6年)、日本人も社会主義に興味を持ち始めていたのです。それから、改造社初の単行本、賀川豊彦の『死線を越えて』を100万部売って勢いにのり(大正9年)、増えた元出で、第一次世界大戦に反対して投獄されたイギリスの哲学者バートランド・ラッセルを日本に招いてそれも成功させ(大正10年7月)、そんなこんなで、改造社は日本を代表する左系の有力オピニオン企業になっていきます。

そして、そのラッセル来日が、アインシュタインの来日の誘い水になるのでした。山本アインシュタインの間に次のような会話があったといいます。

・・・実彦は、ラッセルに、
「現存する世界の偉人は誰か、三人ばかりを挙げてみてください」
というと、ラッセルはすぐ、
「一番にアインシュタインです」といったという。
実彦はそのときアインシュタインの「相対性理論」というものが、学界でどんな地位にあるか知らなかった。従って、アインシュタインなる人がどんな人かも知らない。
 実彦は通訳を通じて、「アインシュタインとはどんな人物か」と聞くと、ラッセルは、「ニュートンに相対立するほどの偉人だ」といった。
 実彦はラッセルに、アインシュタインの相対性理論の論文を一般大衆に理解できるように書いて欲しい、と頼んだ。
 それからすぐ実彦は行動に移った。翌日は京都に行き、西田幾多郎に会って・・・(松原一枝『改造社と山本実彦』より)

と、話が進んでいったのです。

現存する改造社社屋(東京中央区銀座5-13-18 map→)。今は出版はしておらず、書店のみの営業のようだ* 現存する改造社社屋(東京中央区銀座5-13-18 map→)。今は出版はしておらず、書店のみの営業のようだ

アインシュタインの来日には、当地にゆかりある2人が重要な役を果たしました。 室伏高信(30歳)と、既述の秋田忠義です。尾崎士郎(24歳)の当地を舞台にした小説 『空想部落』 には2人を思わせる人物が出てきます。改造社の特派員としてロンドンに滞在していた室伏は、山本からの電報を受け、アインシュタインがいるドイツに急行しました。 秋田も、日本から特使として派遣され、ドイツ留学中の田辺元たなべ・はじめ (37歳)の協力を得てアインシュタインの来日交渉にあたります。アインシュタインは、ラフカディオ・ハーンの著作を読んで日本に憧れを持っていたようで、話はトントン拍子に進んだようです。

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ところで、7年前の大正4年におよそ完成したとされる相対性理論は、いつ頃日本に伝わったのでしょう?

アインシュタインの来日1年前の大正10年頃から、アインシュタインの元に留学し彼の来日時に通訳も務めた石原純(山本アインシュタイン来日について最初に相談した一人)が立て続けに相対性理論の本を出しており、その頃から日本人にもそれなりに相対性理論は知られていたと思います。石原はこの年(大正10年。40歳)、妻子ある身で歌人の原阿佐緒あさお (33歳)と駆け落ちし、東北帝国大学を辞職しています。また、歌人でもあった石原は、阿佐緒と同様、歌誌「アララギ」の主要な同人でしたが、重鎮の島木赤彦(45歳)や斎藤茂吉(39歳)の忠告を聞かずに彼女と同棲し続けたため、彼女とともに「アララギ」も追われました。定収入と権威からのお墨付きをなくした石原は生活のためにも執筆に力を入れたようです。ちなみに、石原と阿佐緒は、大正13年、北原白秋(39歳) 釈迢空しゃく・ちょうくう (折口信夫。37歳)らが創刊した歌誌「日光」の同人になっています。北原は、自分自身も女性関係でいろいろあったので、きっと理解があったでしょう。

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と、少し横道にそれましたが、石原が相対性理論の本を盛んに出すようになる大正10年より2年も前(大正8年)に、意外な人が、相対性理論について、かなり詳しく紹介しています。日本共産党の幹部として今でも高く評価されている市川正一(当時27歳)です。当時彼は、「読売新聞」の社会部にいて、大正8年5月29日から4回にわたって、「相対性原理とは何か」 を書きました(新聞紙上では筆者名はありませんでしたが)。日本における、相対性理論の先駆的な紹介記事ではないでしょうか。

人が空中を行く様になつた事よりも更に一層大きな変革が過去廿年の物理学に起つた。 即ち千九百五年瑞西(スイス)の物理学者アインスタインが発表した相対性原理は従来の物理学の基礎を動かし、特にニウトンが確固不動の原則として建てた力学上の法則を理論的に全く覆したのである。・・・(「相対性原理とは何か」冒頭)

かつては空間の一点を表すには、x、y、zの座標軸で足りましたが、放射能から導きだされた電子論では、時間を表すt軸も必要になるようです。そして、空間と時間が結合する時空点を世界点※1と呼び、それにより、“物体はその速度によって長さを変える”という「ローレンツの理論」が導かれたとのこと。これが相対性理論の基礎になったと市川は説明しています。相対性理論はアインシュタイン一人が導きだした理論ではないのですね。

市川は、既述の石原の名前をあげて、彼の相対性理論の論文を高く評価しています。市川のこの記事も、おそらく石原の論文を元に書いたのでしょう。やはり、日本においての相対性理論の最初の啓蒙者は石原といっていいでしょうか。

マルクス・エンゲルスの理論にもとづく共産主義(マルクス主義)は、「科学的社会主義」とも呼ばれます。弁証法、唯物論といった“科学的”思考方法によって、社会は共産社会に移行するのが必然と彼らは考えるようです。「科学」に対する信頼はあついのでしょう。相対性理論など自然科学に造詣があった市川は、ある意味スムースに共産主義に入っていけたかもしれません。その後、市川は軍部から干渉されるようになった「読売新聞」を退社し、大正12年日本共産党に入党、幹部として活躍しますが、昭和4年(37歳)、当地(馬込)で25〜26名の警察官に包囲されて逮捕され、無期懲役となり、昭和20年獄死しています(52歳)。

 

※1 : 「世界点」 について、稲垣足穂も 『美のはかなさ』 で言及している。「・・・マックス=プランクが“h”を発表して、世界線の不連続性について注意を促したのは、一九〇〇年十二月上旬で、これは僕の生れる三週間ほど前のことであった。─若しここに、何物の上にでも任意の点をきめたならば、これが「世界内」の出来事である限り、その点は世界点である。しかもこの点は、それが動く動かないに拘らず、時間経過につれて一方へ動いていると見なさなければならない。ちょうど映画の一コマがフィルムとして線的に続いているように、あらゆる世界点は時間の流れに乗って、それぞれ直線乃至曲線を描いている・・・」(稲垣足穂 『美のはかなさ』より)

『アインシュタイン 日本で相対論を語る』 金子務『アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間 (岩波現代文庫) 』
アインシュタイン 日本で相対論を語る』 金子務『アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間 (岩波現代文庫) 』
志村史夫『アインシュタイン丸かじり ―新書で入門 (新潮新書)』 池内了『中原中也とアインシュタイン 〜文学における科学の光景 (祥伝社黄金文庫)』
志村史夫『アインシュタイン丸かじり ―新書で入門 (新潮新書)』 池内了『中原中也アインシュタイン 〜文学における科学の光景 (祥伝社黄金文庫)』
松原一枝 『改造社と山本実彦』 西尾成子 『科学ジャーナリズムの先駆者 ―評伝 石原純』(岩波書店)
松原一枝 『改造社と山本実彦 西尾成子 『科学ジャーナリズムの先駆者 ―評伝 石原純』(岩波書店)
秋山佐和子 『原阿佐緒 ―うつし世に女と生れて (ミネルヴァ日本評伝選)』 小林榮三 『不屈の知性 〜宮本百合子・市川正一・野呂栄太郎・河上肇の生涯』
秋山佐和子 『原阿佐緒 ―うつし世に女と生れて (ミネルヴァ日本評伝選)』 小林榮三 『不屈の知性 〜宮本百合子市川正一・野呂栄太郎・河上肇の生涯』

■ 馬込文学マラソン:
尾崎士郎の 『空想部落』 を読む→
北原白秋の『桐の花』を読む→
稲垣足穂の『一千一秒物語』を読む→

■ 参考文献 :
●参考文献1: 『改造社と山本実彦』(松原一枝 南方新社 平成12年発行) P.83-104、P.114-124   ●参考文献2: 『不屈の知性 〜宮本百合子市川正一・野呂栄太郎・河上肇の生涯』(小林榮三 新日本出版社 平成13年初版発行 平成13年2刷参照) P.94-96 ●参考文献3: 「相対性原理とは何か」(「読売東京(朝刊)」大正8年5月29日〜6月1日掲載) ●参考文献4: 「美のはかなさ」 ※ 『一千一秒物語(新潮文庫)』所収 (稲垣足穂 昭和44年初版発行 平成17年41刷参照) P.313-315

■ 参考サイト:
ウィキペディア/アインシュタイン(平成25年10月30日更新版)→
ウィキペディア/マックス・プランク→
ウィキペディア/世界線→
ウィキペディア/石原純(平成28年10月20日更新版)→

はんどろやノート/伯林の月→
コトバンク/科学的社会主義→
松岡正剛の千夜千冊/『改造社と山本実彦』→

大学プレスセンター/東京理科大学/東京理科大学が、一般相対性理論発表から100年を記念して「アインシュタイン展」を開催 〜膨張宇宙、ブラックホールなどを予測する〜→


※当ページの最終修正年月日
2016.11.18

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