●『美は乱調にあり』・・・瀬戸内寂聴師が瀬戸内晴美(せとうち・はるみ)だった頃の作品。昭和41年、文藝春秋社から発行された。 一時期馬込文学圏にもいた放浪の思想家 辻 潤が登場する。この小説は日陰茶屋事件で終わるが、15年後に書かれた続編『諧調は偽りなり』では甘粕事件にも言及している英文版“Beauty in Disarray”(平成12年)もある。

意外な面でキラリとくると、グッとくる。「一見すごく悪・・・、でも実は、すごくいい人でした」とくれば、それだけでウルウルだ。

X軸とY軸をいくら伸ばしていっても平面だが、そこにZ軸が加わると立体になる。人の魅力も多方向に発揮される時、立体的になって人を魅了するんだと思う。

この『美は乱調にあり』の登場人物たちがとても魅力なのも、その魅力が立体的だからなのだ。 一筋縄では括れない魅力である。

なんといっても、伊藤野枝。彼女は周りに配慮することなどこれっぽっちもしないエゴの固まりのような人物なのだが、その野枝がすごいのだ。かの「青鞜」の、この賛否両論、暴風雨の中に屹立するような雑誌を、20歳の野枝が背負い込む。このやる気というか、勇気というか、意気込みというか、ともかく彼女の燃えるような生き様に心打たれる。また、見目麗しいという彼女の魅力も否定できない。

また野枝の夫だった辻 潤も面白い。彼は後には物乞い同然の生活をすることになるのだが、それでも卑屈なところがない。オピニオンリーダーであるだけでなく、その実践家であるところがカッコいい。また、彼に尺八を吹かせたらプロ並みというから、恐れ入りました。

それと野枝の2番目の夫・大杉 栄も、とんでもなく強烈だ。彼は過激思想家ということで何度か投獄される。が、牢屋に投げ込まれる度に、牢屋の中でフランス語やらエスペラント語やらの外国語をマスターしてしまうという強者だ。彼に言わせると「一犯一語」。吃音が激しかった大杉は「十カ国語でどもってやる」と豪語したとか。大杉には四六時中警官が張りついているが、その警官たちを大杉は手なづけてしまって、自分の荷物を運ばせていたというから笑ってしまう。 思想的には賛否両論だったろうが、大杉の大きさ・温かさに惹かれている人は多かったようだ。

この『美は乱調にあり』は、彼らZ軸の魅力を持つ人たちが繰り広げる物語りなのだから、面白くないわけがない。

念のために書き添えれば、伊藤野枝も辻 潤も大杉 栄も、みんな実在の人物です。

日陰茶屋
小説の最期の舞台となる逗子の日陰茶屋。(クリックで拡大)2006年撮影

『美は乱調にあり』を読むには

『美は乱調にあり』(文芸春秋 昭和41年)、『角川文庫 美は乱調にあり』 (角川書店 昭和44年) 、『美は乱調にあり』( 文芸春秋 昭和59年)、「瀬戸内寂聴全集(12)」などで読むことができる。瀬戸内晴美(寂聴)さんは人気作家なので多くの図書館が所蔵していると思う。


瀬戸内晴美(寂聴)について

神仏具商の家に生まれ、在学中に結婚
大正11(1922)年5月15日、徳島県徳島市で生まれる。二人姉妹。家業は神仏具商だった。9歳の頃から小説を読み始める。昭和15年(18歳)、東京女子大国語専攻部に入学し、寮生活を始めた。大学在学中に結婚。戦時中のため大学を繰り上げ卒業し、夫の赴任先の北京に渡る。翌年、長女を出産。戦後、徳島に引き上げ、翌年、家族3人で上京した。

家族を残して出奔、作家になる
昭和23年(26歳)、夫と子供を残して夫の教え子である青年と出奔。大学時代の友人と京都の下宿で同居した。出版社・小児科研究所・図書館と渡り歩き、昭和25年(28歳)、『青い花』を「少女世界」に投稿、初めて稿料を得る。翌年、上京。この頃、三島由紀夫と文通する。
昭和32年(35歳)、『花芯』を発表。平凡な人妻が娼婦になるまでの課程を描いたこの小説は、文学性が高く評価されながらも、ポルノとの烙印も押される。以後5年間、文芸雑誌から追い出された。翌年、「講談倶楽部」に『妻の放蕩』を発表。昭和35年
(1960年 38歳)頃から、波乱万丈の人生を送った女性を扱った伝記小説に精力を傾け、『田村俊子』(昭和36年)、初期の代表作の一つ『夏の終り』(昭和38年)を書くにあたり、瀬戸内は近松秋江を読み込んだ。 『女徳』(昭和38年)『かの子撩乱』(昭和40年)、『美は乱調にあり』(昭和41年)『遠い声』(昭和45年)『余白の春』(昭和47年)を産み落とす。

仏教者・文学者として絶大な人気を持つ
昭和48年(51歳)11月14日、平泉中尊寺(当時貫首を今 東光が勤めていた)で得度。法名を寂聴とする。彼女の出家について仏教界内外の評判は必ずしも良くなかったが、翌年、4度にわたり比叡山の修行場に入って並々ならぬ覚悟を示した。翌昭和50年(53歳)
読経中にクモ膜下出血を起こし、しばらく世間から身を隠したが、更に1年を重ね、再び精力的にペンを執る。長期にわたるインド旅行を含め、世界各国を巡った。昭和61年(64歳)、連合赤軍裁判で永田洋子被告の証人として証言台に立つ。翌年、岩手県浄法寺町の天台寺の住職となる。天皇の墳墓を持つ同寺院も当時は荒れ放題だったが、原稿料と講演料をつぎ込んで、10年かけて再興させた。出家後の主な作品は、『比叡』(昭和54年)、『青鞜』(昭和59年)、『ここ過ぎて---白秋と三人の妻---』(昭和59年)など。また、仏教三部作といわれる『手毬』『花に問え』『白道』、仏教入門書的なロングセラー『寂聴 般若心経』(昭和63年)、“畢生の大業”ともいわれる『源氏物語 全十巻』(平成9年)などがある。
現在も現役で天台寺の住職を務め、闊達でユーモアあふれる人柄にファンが多く、毎月約1回催される法話には全国から何千人が詰めかけるという。


参考文献

●『瀬戸内寂聴の世界〜人気小説家の元気な日々』
( 平凡社 平成13年)

●『模倣と創造』
(板倉聖宣 仮説社 昭和53年)


参考サイト

松岡正剛の『千夜千冊』>大杉栄『大杉栄自叙伝』→

MIXTURA>『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』→
※ 2書の紹介。

「映画データベース」『華の乱』
※ 1988年 深作欣二監督 東映。伊藤野枝(石田えり)、大杉栄(風間杜夫)、辻潤(編笠の人物)も登場する。


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※当ページの最終修正年月日
2008.1.29