小島政二郎はこの『眼中の人』で、芥川龍之介、菊池
寛という二人の友人について書いている。
まず芥川龍之介は、小島にとって常に感嘆の対象だった。芥川はその才能・態度・風貌、どれにおいても小島を凌駕している。小島が挫折していた『ジャン・クリストフ』を、芥川は英訳版で2週間で軽く読みこなしたし、酒宴の払いを小島が「割り勘で」と主張すれば、芥川に「そんな無粋はお止しなさい」とさらりとたしなめられたりもするのだった。なんせこの2歳年上の友人は、もう、文壇が認める売れっ子だ。そんな芥川の「鋭くつて瑞々しくつて叡智に濡れてゐる」の瞳には、小島は一も二もなく参ってしまうのだった。
ところが、もう一人の友人の菊池寛はというと、小島は密かに彼のことを軽蔑しているのだった。菊池は無骨で、まず遠慮というものがない。容赦なく「相手の骨まで切り下ろす」ような口の悪さも備えていた。粋を身上とする江戸っ子の小島の神経は、逆撫でされること頻りだ。まず第一、菊池の書くものは荒削りで、ひどいものだ。正統派の文章を愛した小島には全く感心できないのだった。
ところがある日、小島は菊池の小説を何気なく再読してみて、おやっと思うのだった。
たしかに菊池の文章は荒削りで芥川のものなどとは比べようもない。しかし、そこには人物の緊迫した心理が、ひしひしと脈打っているではないか。これは尊敬している芥川のものにもない味わいだ。
そんなこともあって、小島は、菊池という人間そのものも見直してみることになる。すると、まず強烈に発散しているパワーだ。人並み外れたおおらかさ、温かさ、情熱、勇気やらも、渾然とあふれている。面白半分で大量の睡眠薬を飲んで混濁状態に陥るといった馬鹿なこともやるが、その意識朦朧の中でも文学論を語りまくってしまうというのが、恐るべき菊池寛という人間なのだった。
芥川は感嘆の対象だ。でも、あくまで小島と同じベクトル内の人間である。でも、菊池は違った。自分に全くないものを強烈に所有し、そして人生と格闘している。
小島は、今まで盲信していた価値観に揺らぎを感じ、自信をなくし、自己嫌悪し、そして、筆を折る瀬戸際まで落ち込んでいくのだった。ここからが小島の正念場であり、『眼中の人』は一挙に佳境に入っていく。
『眼中の人』について
小島政二郎作。昭和10年(41)、「改造」に発表したものを元に、昭和17年11月1日(48)三田文学出版から発行された。昭和42年(73)、第二部が書かれている。昭和50年(81)、文京書房から初版時の体裁で再版されている。角川文庫版、岩波文庫版もあり。
小島政二郎(こじま・まさじろう)について
学生時代、作家批評で認められる
明治27(1894)年1月31日、東京は上野の下谷町の呉服商の次男として生まれる。慶応大学在学中、作家たちの文章を分析した論文を発表し、森鴎外から評価される。大正7年(24)、児童雑誌「赤い鳥」の編集に携わり、徳田秋声などの代作もした。「三田文学」の編集にも関わる。
伝記小説を得意とする
大正11年(28)、鈴木三重吉夫人の妹と結婚。翌年、知り合いの講釈師
神田伯龍のことを書いた『一枚看板』で評価される。その他、『森の石松』(大正8年 25)、『芭蕉』(昭和18年 49)、『円朝』(昭和32年 63)、『小説 葛飾北斎』(昭和36年 67)、『鴎外・荷風・万太郎』(昭和40年 71)、『明治天皇』(昭和42年 73)、谷崎潤一郎を書いた『聖体拝受』(昭和44年 75歳)、魯山人を書いた『北洛師門』(昭和46年 77歳)、『長篇小説 芥川龍之介』(昭和52年 83)、寄席の名人たちを書いた『八枚前座』、『初代中村吉右衛門』(昭和57年 88)、など伝記小説が多い。芥川賞・直木賞の選考委員(昭和9年 40〜)、慶応義塾大学文学部教授も務めた(教え子に藤浦
洸がいる)。映画化された作品も多い。
平成6(1994)年、ちょうど百歳で死去。馬込作家で一番長寿だろう(
) 。
小島政二郎と馬込文学圏
昭和12年(43)に馬込文学圏(山王2丁目)に来る。現在、山王2丁目の「コンセール大森山王」(マンション)が建っている辺りに住んでいた。近くには清浦奎吾(元首相)もいた。
その頃の小島は作家として人気絶頂だったという。
昭和19年(50)には鎌倉に疎開し、そのまま馬込文学圏には戻らなかった。
馬込文学圏の「小島政二郎」関係地図→
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| この八景坂を上って、左に入った右手に小島政二郎の住まいがあった |
参考文献
●『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』
(大田区立郷土博物館編 平成8年)P.32
●『昭和文学作家史』
(毎日新聞社 昭和52年) P.96-100
参考サイト
●松岡正剛の千夜千冊/787夜 『円朝』小島政二郎→
●とみきち読書日記>『眼中の人』小島政二郎→
●ウィキペディア>小島政二郎→
●日本映画データベース>小島政二郎→
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※当ページの最終修正年月日
2008.4.5
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