『雪国』といえば駒子だ。駒子の名前なら『雪国』を読んでいない人でも知っていたりする。舞台の越後湯沢にいったら駒子饅頭くらいは売っていそうである。だから、冒頭で列車の窓を開けて「駅長さあん、駅長さあん」と「悲しいほど美しい声」を出す女は、駒子に違いないと思った。

ところが違った。その美しい声の持ち主は、葉子という女だった。葉子はいつも異常に張りつめていて狂気の兆しすら感じられる、そういう女である。明るい駒子とはずいぶん違う。

だんだん葉子のことが気になってきた。『雪国』に多く登場するのはやはり駒子なのかもしれないが、その影になり日向となって葉子が姿を見せていたことに今にして気づく。駒子の美しさに葉子の美しさが重なってくる、そういう場面もあったかと思う。これは一体どういうことなのか。ひょっとしたら、主人公の島村は、いつもワナワナ震えているような葉子を、心の深いところで愛し初めていたのか。それも駒子に対するより切ない気持ちで。

実は『雪国』は、葉子で始まり、葉子で終わる。共に主人公島村の視点で葉子が描かれている。その2つの葉子はどちらも赤々と燃えるイメージがあり、ただごとでない、悲しさであり、美しさだった。

(『続雪国』より クリックしてみてください)

川端康成が『雪国』で一番書きたかったのは、葉子という存在だったかもしれない。


『雪国』について

清水トンネル開通(昭和6年。上越線開業)当時の越後湯沢を舞台にした川端康成の小説。 昭和9年(35)から越後湯沢の宿屋「高半(たかはん)」のかすみの間で書かれ、翌年から章ごとに独立した短編として「文藝春秋」「改造」「日本評論」「中央公論」で発表されていった。昭和12年、新稿も加えて創元社から発行。昭和22年(48)、『続雪国』(小説新潮)が書かれ、戦中を含めて13年間かかって完結する。昭和46年(72)、『定本雪国』(牧羊社)が発行された。サイデンステッカーの英訳が、ノーベル文学賞受賞の礎石になったともいわれる。

各種単行本・文庫本・全集に収められており、多くの図書館が所蔵していると思う。下の写真は近代文学館発行の『復刻版 雪国』である。※クリックで拡大

雪国


川端康成について

15歳で天涯孤独となる
明治32(1899)年6月14日、大阪で生まれる。2歳の時父親が死去。3歳の時母親が死去。7歳の時祖母が死去。10歳の時姉が死去。15歳の時祖父が死去し、天涯孤独となる。青年期にも知人らの多くの死に立ち会う。

帝国大学時代から認められる
東京帝国大学在学中、今 東光鈴木彦次郎らと第六次「新思潮」を発刊、創作活動を始める。大正13年、横光利一佐々木茂索らと「文芸時代」を創刊。 「新感覚派」の中心的な存在になった。文芸評論でも活躍、尾崎士郎伊藤整岡本かの子北条民雄三島由紀夫らを高く評価し、世に出した。昭和2年(28)『伊豆の踊子』を発行。昭和10年(36)『雪国』の断章『夕景色の鏡』が「文芸春秋」に発表される。戦中は海軍報道班員を務めた。

日本初のノーベル文学賞と、3年後の自殺
昭和23年(49)から日本ペンクラブ会長を務める。昭和24年(50)『山の音』、 昭和27年(53)『千羽鶴』を発行した。昭和43年(69)には日本初のノーベル文学賞を受賞する。
昭和47(1972)年4月16日、逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺を遂げる。享年72歳。墓所は鎌倉霊園(神奈川県)( )。


川端康成と馬込文学圏

昭和3年(29)、大森ホテルに泊まりながら借家をさがし、初め子母沢に住むが、しばらくして臼田坂の上り口近く(南馬込3丁目)に移動した。馬込文学圏では貴重な「家賃の払える作家」の一人だったが、そんな彼も楽でなかった。執筆に使うインクを水で薄めて倹約したり、家賃の催促に来た大家をギョロリとにらんで撃退したりした。蒲田の質屋に通った記録も残っている(※1)

翌年の昭和4年10月まで住んで、上野の桜木町に転居した。 周りの文士たちの訪問が度重なり、そういった馬込の落ち着きのなさが川端には馴染めなかったようだ。

馬込作家で親しくしていたのが、尾崎士郎。川端が尾崎の『凶夢』(大正12年)を賞賛したことから付き合いが始まり、伊豆の湯ヶ島で再会してから付き合いが深まったようだ。川端の馬込文学圏入りは、尾崎の誘いからだという。尾崎の『人生劇場』(昭和12年)は当初売れ行きが芳しくなかったが、川端が賞賛するや飛ぶように売れた。

後のことになるが、三島由紀夫とも親しくしていた。昭和21年三島が鎌倉の川端を訪ねてから、師弟関係ともいえる付き合いが始まった。川端は、三島の才能を見出した重要な人物の一人である。

馬込文学圏の [川端康成] 関係地図→


参考文献

●『文壇資料 馬込文学地図』
(近藤富枝 講談社 昭和51年)

●『山本周五郎 馬込時代』
(木村久邇典 福武書店 平成6年初版)
(※1):P.79-81を参照した

●『座談会 昭和文学史(一)』
(井上ひさし 小森陽一  集英社 平成15年) P.439 -557

●『馬込文士村ガイドブック(改訂版)』
(東京都大田区立郷土博物館編 平成8年) P.13、P.22-23

●『雪国』
(新潮文庫 昭和59年)

●『馬込文士村の作家たち』
(野村 裕 自費出版 昭和59年)P.147-162


おすすめサイト

松岡正剛の千夜千冊/53夜 『雪国』川端康成→

文学者掃苔録図書館/川端康成


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※当ページの最終修正年月日
2008.4.16