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不遇の利用(元治元年11月9日、勝海舟に登城命令が下る)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝海舟

元治げんじ 元年11月9日(1864年。 勝 海舟(41歳)に登城を命じる書簡が届きました。

案の定、お役御免のお達しでした。海舟は軍艦奉行と神戸海軍操練所御用の両役から下ろされて、今まで2,000石とっていたのが急に100俵となります。1石は兵士一人が一年間に消費する米の量とされ、2,000石といえば兵を2,000人養える禄高です。1俵も1石と同じ量を表しますが、身分が高くない者(役職についていない者)の禄高に使われたようです。およそ1/20の収入となりました。

なぜ、そんなことになったのでしょう?

黒船が来航した嘉永6年(1853年)に海舟(30歳)が提出した「海防意見書」が取り上げられ、その後、長崎海軍伝習所の生徒監となり、 万延まんえん 元年(1860年。海舟37歳)には咸臨丸艦長として渡米に成功、元治元年5月(1864年。海舟41歳)には海軍奉行・神戸操練所御用になって、とんとん拍子の大出世と遂げてきました。ところが、海舟は、設立した神戸海軍操練所を幕府の海軍ではなく「日本の海軍」を作るべく諸藩から人材を集めたため、倒幕を企む土佐や薩摩からも続々と入学生が集まってきます。土佐の坂本龍馬とは2年前の文久2年(1862年)から交流がありましたが、薩摩の西郷隆盛とも繋がりができました。その動きを幕府が警戒したのは当然といえば当然。後の薩長土肥の倒幕運動を思うと、海舟の考え方ややり方は、国がガタガタしている時期に表に出すものではなかったのです。表に出すことによって幕府の崩壊を早めたのは確かでしょう。海舟は幕府の人ですから幕府と朝廷が中心になって「日本の海軍」を作ろうとしたのでしょうが、龍馬西郷らは海舟の考えを応用して(悪用して)、倒幕勢力を結集させ幕府を倒した後に自分たちが中心の「日本の海軍」を作ろうとします。

罷免させられた海舟は、再び声がかかるまでの約1年半(海舟の『氷川清話』には4~5年間とある)、元氷川の邸宅(東京都港区赤坂六丁目10-41 Map→)で本を読みまくっています。

おれは、一体文字が大嫌ひだ。詩でも、歌でも、発句〔俳句のこと〕でも、みなでたらめだ。 何一つ修行したことはない。学問とても何もしない。ただあの四、五年間、塀居を命ぜられたお陰で、少々の学問ができた。源氏物語や、いろいろの和文も、この時に読んだ。漢学も、この時にした。たうとう二十一史も読み通したヨ。しかしほんの独学で、終始康煕こうき辞典〔中国の漢字辞典〕と首引くびっぴきをしたのだから、読み誤つとるかも知れないヨ。音などは偏やつくりを見て、よい加減にやつつけるのだからノー。(勝 海舟『氷川清話』より)

不遇のときは、時間だけはたっぷりあったりするので、腰を据え、ふだんできないことに取り組むといいんですね!?

堺 利彦

戦前は未開で、野蛮で、威張る人がのさばる時代だったので、みんな仲良く平等にと社会主義的(民主主義的)なことを主張すれば、すぐに監獄行きでした。

堺 利彦は5度は投獄されています。は獄中で洋書を含む多岐にわたる本を読んでいます。妻の 為子ためこ に詫びながら差し入れてもらった本は、『仏国中古小史』などの歴史書、『資本論』など経済学の本、『哲学綱要』などの哲学書、他国語学習のための辞書の類、『シカゴ屠畜場の記』など労働関係、『貧児立身カパヒルドの伝』などの評伝、『婦人論』などの女権に関するもの、『犯罪学』などの犯罪学系、『地球の変遷』などの自然科学系、『宗教改革小史』などの宗教関係、「農業雑誌」などの農業関係、『復活』(トルストイ)などの文学書などなど。「治安維持法」(大正14年公布・施行。昭和3年の改悪で最高刑が死刑となる)が施行前のことで、『資本論』の差し入れもまだ可能だったのですね。

は友人の幸徳秋水山川 均、森近運平、大杉 栄らの蔵書も把握していて、この本は誰それに借りるようにとか、買う場合はこの本を売って支払うようにとか、事細かに為子に頼んでいます。は有名な社会主義者なので、彼の名を出せば、送料込みで4割引きで買えたそうです。為子は裸体画があって発禁の本などは、その頁だけを引き抜いて製本し直すなど工夫しています。堺は「愛妻居士」とからかわれるほどの愛妻家でしたから、為子もそれに応え協力を惜しまなかったのでしょうね。

の獄中での凄まじい勉強姿に心打たれた監守の岡野辰之助は、その職を辞しの「売文社」の一員になっています。

大杉 栄

大杉 栄も明治39年(21歳)から明治43年(25歳)までの間、監獄を出たり入ったりでした。やはり獄中で、フォイエルバッハの宗教論、『自由恋愛論』(アルベール)、『バクーニン全集』、トルストイの小説、クロポトキンなどアナキズム関係の著作、『老子』『荘子』などを読みまくっています。ことに語学習得に情熱を傾け、「一犯一語」と豪語し、監獄に入るたびに一つの外国語をマスターすることを自分に課しました。エスペラント語、ロシア語,イタリア語,ドイツ語、英語、フランス語をかじった形跡があるようです。

・・・午後はエスペラント語を専門にやる。先月は読むことばかりであったが、こんどは、それと書くこととを半々にやる。つまらない文法の練習問題をいちいち真面目にやっていくなどは、監獄にでもはいっていなければとうていできぬ業だとおもう・・・(大杉 栄の書簡より。宛先は不明)

山川均

山川 均も19歳の時から4度は投獄されています。最初の投獄前まではキリスト教の平等・公平思想を広めて社会を変革しようと考えましたが、監獄で経済学の本を耽読してからは、労働運動を通して平等・公平を実現させようと試みるようになります。

獄友3人。左:山川 均、中央:堺 利彦、右:大杉 栄 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典: 『パンとペン 〜社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い〜』(黒岩比佐子 講談社)
獄友3人。左:山川 均、中央:堺 利彦、右:大杉 栄 ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典: 『パンとペン 〜社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い〜』(黒岩比佐子 講談社)

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  ヴォーヴナルグ『不遇なる一天才の手記(岩波文庫)』。ヴォーヴナルグは、病苦と貧窮の中にあっても人間と人生を肯定。ロマン主義の先駆者とされる
  ヴォーヴナルグ『不遇なる一天才の手記(岩波文庫)』。ヴォーヴナルグは、病苦と貧窮の中にあっても人間と人生を肯定。ロマン主義の先駆者とされる
B・ラッセル『幸福論 (角川ソフィア文庫)』。花の名などを一つ二つと覚えてみる。知ることは愛すること。自分以外を愛することの幸福 梅崎春生『怠惰の美徳 (中公文庫)』。編:荻原魚雷。一生懸命だけが能じゃない? 怠けながら生き延びる方法?
B・ラッセル『幸福論 (角川ソフィア文庫)』。花の名などを一つ二つと覚えてみる。知ることは愛すること。自分以外を愛することの幸福 梅崎春生『怠惰の美徳 (中公文庫)』。編:荻原魚雷。一生懸命だけが能じゃない? 怠けながら生き延びる方法?

■ 馬込文学マラソン:
子母沢 寛の『勝 海舟』を読む→
瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』を読む→

■ 参考文献:
●「海舟の日本海軍事始」(豊田 穣とよだ・じょう )、「行動家と批評家 〜西郷福沢」(桶谷秀昭)、「勝 海舟年譜」(尾崎えり) ※『現代視点 勝 海舟』(旺文社 昭和58年発行)に収録 ●『氷川清話(講談社学術文庫)』(勝 海舟 平成12年初版発行 平成27年40刷参照)P.47、P.291-292 ●『勝 海舟(第3巻) ~長州征伐~』(子母沢 寛 昭和40年発行)P153-180 ●『パンとペン』 (社会主義者・堺 利彦と「売文社」の闘い)(黒岩比佐子 講談社 平成22年発行)P.49、P.203-214、P.422-424 ●『大杉 栄伝 〜永遠のアナキズム〜(角川ソフィア文庫)』(栗原 康 令和3年発行)P.72-81

※当ページの最終修正年月日
2023.11.9

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