Japanese version only.
(C) Designroom RUNE 2000-2011
総計- 本日- 昨日-

{column0}

関口良雄の『昔日の客』を読む
懐かしいお客さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古本屋には、いろいろな客がやって来る。 こんな客もいたそうだ。

青年は、日に一度は必ず、多い時は二度も店に来る。 しかし本を買うことはまれで、買ったとしても粘ったあげくの値下げ本。 それもさらに値引き交渉したというのだ。 ある日、古本屋の主人は青年を叱る。 「うちも商売でやっているんだからね」 と。

数ヶ月して、その青年は 『ブールデルの彫刻作品集』 をカウンターに持ってきた。 その本は当時の1,500円で、たいへん高価なものだ。古本屋の主人は驚いた・・・。

そして、何年も過ぎたある日のこと、その古本屋に一本の電話がある。

・・・「もしもし、関口さんですか」
夜の九時頃だった。
「はい、関口ですが、どなたですか」
「野呂邦暢です」
「野呂邦暢さんと言うと、今度『草のつるぎ』で芥川賞を受賞された方ですね、何かご用でしょうか」・・・
(『昔日の客』 より)

「関口さん」 とは、この古本屋 「山王書房」 の主人の関口良雄だ。 そして、かつて関口が叱った青年は、後の芥川賞作家の野呂邦暢だったのだ。

野呂は電話口で、当時を懐かしげに語った。 どうしてもほしかった 『ブールデルの彫刻作品集』 を給料の大半をはたいて買うべくカウンターに持っていった時、関口はその理由を尋ねたという。 野呂は、東京を離れること、そして今を逃したらこの本に再び出会えないかもしれないとの思いで買う覚悟を決めたことなどを話した。 関口は 「それでは」 とその本の1/3をスパッと値引いて後は受け取らなかったというのだ。 そして、店を後にする野呂に 「郷里でもがんばっておやりなさい」 と励ました。電話の野呂の話で、関口も当時を思い出すのだった・・・。

この 『昔日の客』 には、こういった心に残るお客さんとの交流がいろいろ書かれている。


『昔日の客』 について

関口良雄『昔日の客』
表装の銀杏マークは、関口の俳名 「銀杏子」 から

関口良雄の随筆集。 還暦の節目に出版される予定だった。 その頃の関口の日記には 「自分の本ができるなんて本当に夢のようだ。 涙が出るほどうれしい」 とある。 しかし、本の完成間際、関口は死の床にあったのだ。 出版されたのは、関口の没後約1年しての昭和53年10月30日。 発行は三茶書房。 あとがきをご子息の関口直人氏が書いている。

平成22年、夏葉社から復刊された。

『昔日の客』 (夏葉社版) をAmazonで買う→


関口良雄について

兄姉を頼って上京、体を壊す
大正7(1918)年2月11日、長野県飯田市の米屋で生まれた。9人兄弟(内女性2人)の6男。 小学校卒業後、姉を頼って上京(目黒区大岡山※1)。 兄が経営する名刺の紙店でバイクで営業した。後に馬込文学圏(大田区長原)で新聞販売店を営む別の兄のところに移り、働きながら錦城中学に通うが、体を壊して退学。 昭和20年(27歳)、横須賀の海軍に入隊するが、同年十二指腸潰瘍を患い、霞ヶ浦の海軍病院で終戦を迎えた。

※1 : 東急の大岡山駅は東京都大田区(馬込文学圏)に属する。

粋狂の古書店主
戦後、新聞連盟関東本部に勤めるが、連盟解散後は文星閣印刷株式会社に入社(昭和23年30歳)。翌昭和24年(31歳)、結婚。文学熱が高じ、給料の大半が古書に化けた。昭和28年(35歳)、馬込文学圏(中央1丁目)に日本近代文学専門の古書店 「山王書房」 を開く。 昭和38年(45歳)、「上林暁文学書目」、翌39年には 「尾崎一雄文学書目」 を自費で発行。 発行後、書籍の散逸を望まず、両名の全著作(初版 91点)を日本近代文学館へ寄贈した。

作家・学者らとの交流
古書販売業のかたわら俳句や書に親しみ、昭和45年(52歳)には、尾崎一雄上林暁木山捷平山高のぼるらと五人句集 『群島』 を作った。 俳名は銀杏子。 加藤楸邨主宰の 「寒雷」 「杉」 にも投句した。 作家や学者とさかんに交流、それらの人たちの著作に関口はしばしば登場する。 尾崎一雄の 『口のすべり』 (昭和39年、NHK劇場で放映)。 木山捷平の 『酔いざめ日記』 (昭和50年 講談社)、沢木耕太郎の 『バーボンストリート』 (昭和59年 新潮社)など。 青木正美の 『古書店奇人伝』 でも、関口のことが詳しく紹介されている。

山王書房近くの大森赤十字病院で亡くなる
昭和52(1977)年、大森赤十字病院に入院。

「なつかしき 我が家に戻り 水引草」 (銀杏子)
「眠る間も 花咲きをるよ 雲間草」(銀杏子)

同年8月22日の朝に死去する。 満59歳。 結腸癌だった。 墓所は、浦和の真福寺( ) 。

作家別馬込文学圏地図 「関口良雄」→


関口良雄と馬込文学圏

どどめきばし
山王書房から歩いて20分ほどの「どどめきばし」(馬込文学圏、南馬込6丁目)からの夕景。関口のお気に入りの散歩コースだった。彼はこの橋を 「孤独の橋」 と呼んだ。

昭和28年(35歳)4月25日、関口は馬込文学圏(中央1丁目)に日本近代文学専門の古書店 「山王書房」 を開店。 関口が亡くなる昭和52年までの24年間営業された。

関口の商売と人柄を意気に感じ、多くの人が訪れた。

矢部堯一
開店後10番目以内の客。 矢部の紹介で関口尾崎士郎と知り合い、以後、尾崎が亡くなるまで親交した。 山王書房の扁額は尾崎の筆による。

長岡輝子
店の上がりかまちで長話する間柄

萩原葉子
長電話したり、散歩したり、一緒に鰻を食べたり。

かのう・すすむ
かのうが経営する泡盛屋 「河童亭」 は山王書房と同じ臼田坂沿いだった。 かのう山王書房の前を毎日のように通ったはず。 かのうが中心になって編纂した染谷孝哉の 『馬込文学地図』 は山王書房にも置かれた。

小田切進
「いい本がたくさん並んでいて、心臓がどきどきした」という。自宅から遠くてなかなか行けないので山王書房の近くに住みたいと思ったとか。

保昌正夫
山王書房の客となり意気投合。大森や新橋で飲んだ仲。

野呂邦暢
昭和31年頃(野呂19歳)、山王書房から歩いて1分もかからないところに下宿して会社に通っていた。毎日のように山王書房に通った。 詳しくはこのページの冒頭の文章に。

三島由紀夫瑤子夫妻
夫妻で来たことも、三島が一人で来たこともあった。 蒲田(東京都大田区)のボディビル・ジムへの行き帰りに寄ったようだ。 山王書房の棚に自分の本を見つけて 「署名しましょうか?」 とおどけたという。 「けっして悪い感じの人ではなかった」 とは、関口三島評。

・ 平岡梓
三島由紀夫の父親。 「君んとこは小説本ばかりだなー、何か川柳の本はないか」 と、のたまったとか。

尾崎一雄
店に並んでいる本を見て 「君も本好きが昂じて古本屋になったらしいね」 とお見通し。 関口尾崎の蔵書を買い取りに尾崎宅に通ううちに親交するようになった。

沢木耕太郎
沢木は実家が山王書房の近くなので、里帰りのついでに寄っていた。 沢木の 『バーボンストリート』 の中の 「ぼくも散歩と古本がすき」 で、その時のことを書いている。 関口は話したそうにしたが沢木は黙っていた。 数冊取り置きしておいてもらっているうちに、関口は死去したとのこと。

山高登
上林暁の話で意気投合。一緒に酒を飲んだり、旅に出たり。

和久田誠
中学生の頃からよく通ったとのこと。


参考文献

・ 『昔日の客』 (Amazonで買う→
 (関口良雄 三茶書房 昭和53年) P.118-119

・ 復刻版 『関口良雄さんを憶う』 (Amazonで買う→
 (編集人:尾崎一雄 夏葉社 平成23年) P.18、P.47、P.59、P.66、P.70

・ 『古本屋奇人伝』 (Amazonで買う→
 (青木正美 東京堂出版 平成5年) P.138-158

・ 新潮文庫 『バーボン・ストリート』 (Amazonで買う→
 (沢木耕太郎 新潮社 平成元年) P.221-238

・ 『わが町あれこれ 第2号』
 (編集:城戸昇 あれこれ社 平成6年) P.28


参考サイト

西荻ブックマーク/ご来場ありがとうございました!(第33回西荻ブックマーク「『昔日の客』を読む〜大森・山王書房ものがたり〜」)→

西荻ブックマーク/『昔日の客』 復刊応援特集→

西荻ブックマーク/「大森・山王書房の旅」 レポート→

西荻ブックマーク/関連資料→

西荻ブックマーク/昔日の客→

Kanecoの日記/『昔日の客』 への旅→


※当ページの最終修正年月日
2012.1.31

この頁の頭に戻る