●『氷壁』・・・井上 靖(いのうえ・やすし)、49歳の時の作品。昭和30年の「ナイロンザイル切断事件」がモチーフになっている。昭和31年から翌年にかけ朝日新聞に掲載され、昭和32年新潮社で単行本になる。昭和33年映画になって、ヒット。日本国内に登山ブームが興る。2006年、ドラマ化(NHK)。独語訳・仏語訳もある。

魚津恭太は友と挑んだ厳冬期の岩場で、友を失った。“切れるはずのないザイル”が切れてしまったのだ。

傷ついた心をぶら下げて一人町に戻った魚津を待っていたのは、世間の冷たい視線だった。“切れるはずのないザイル”が切れたのだから、ザイルが意図的に切られたのではとの憶測も生まれる。魚津が意図的に切ったとすれば、それは自分だけが助かりたいために友を見殺しにしたことになり、友が意図的に切ったとすれば、友は自ら死ぬために魚津や登山を利用したことになる。

否。ザイルは岩角でこすれただけで「簡単に」切れてしまったのだ!

魚津は、真実を伝えるべく奔走する。登山家の誇りをかけた戦いである。

この小説の主人公 魚津恭太は、動けなくなった友とともに冬の槍ヶ岳北鎌尾根に散った伝説の登山家松濤 明がモデルになっているという。


『氷壁』を読むには

『氷壁』は以下の本などで読むことができる。人気のある作品なので多くの図書館が所蔵していると思う。

『氷壁』
(新潮社 昭和32)

『氷壁画集』
(画:生沢朗 朋文堂 昭和32)

『新潮文庫 氷壁』
(新潮社 昭和38、平成14に84刷にて改版)

『氷壁画集』
(画:生沢朗 横長判 成美堂 昭和47)

『大活字本シリーズ 氷壁』
(埼玉福祉会 平成9)

※『氷壁』の舞台になった上高地の徳沢園には、冒頭の直筆原稿が保管・展示されているとのこと。

外部リンク:徳沢園→


『氷壁』と馬込文学圏

『氷壁』の主人公 魚津恭太の住まいは、馬込文学圏(大森)にあった。そのアパートからは「擴ってゐる大森の街衢が見え」、「窓を開けると、國電とバスとタクシーの音」が立ち上がってくる、という描写から山王2〜3丁目の大森駅側の高台、それもかなり駅に寄った部分だろう。アパートの前の「だらだら坂」が、闇坂か否かははっきりしないが、亡き友の妹のかをると一緒に大森駅までたどった「大通り」は池上通りに違いない。

井上 靖が小説の主人公の住まいを馬込文学圏(大森)に設定したのは、地理感のある場所だったからだと思う。井上は昭和24〜32年(『氷壁』もこの期間に書かれた)、馬込文学圏(大森)の隣町の大井(東京都品川区)に住んでいた。 この小説を書くにあたって取材に来ているかもしれない。

馬込文学圏の『氷壁』関連地図→


井上 靖について

反抗心が芽吹いた幼少期
明治40(1907)年、軍医だった父親の赴任先、北海道旭川で生まれた。同年、父親は大陸に派遣され、翌年、母親と母親郷里の伊豆湯ヶ島に帰る。しばらくして母親は転勤がちな父親に伴うようになり、祖母に預けられ、そこで3歳から13歳までを過ごす。祖母が曾祖父の妾だったことから本家から敵対視され、本家に反抗心を燃やした。

柔道で感得されたストイシズム
大正9年(13歳)祖母が亡くなり、浜松の両親の元に引き取られる。ところが2年後、父親が台湾に転勤となり、三島の親戚に預けられる。再び両親と離ればなれである。生活は放埒を極め、寄宿時代は舎監を寄宿舎から追い出すといった騒ぎまで起こしたという。また、教師や友人の影響で文学に興味を持ち始め、校内の雑誌に作品を発表するようになる。石川県金沢の第四高等学校では柔道部の主将を務め、インターハイでも活躍した。柔道の鍛錬から感得されたストイシズムが、文学の骨格を作ったといわれている。

実力派劣等生、新聞記者になる
九州大学英文科を中退し京都大学の哲学科に入り直すが大学の講義にはほとんど出ず、東京の同人誌や詩人らとの交流に明け暮れた。雑誌に投稿しては入選を重ねる。映画や演劇の脚本部にも出入りしていた。昭和10年(28歳)足立文太郎の長女ふみと結婚、京都に新居を構える。翌昭和11年(29歳)、ようやく大学を卒業し、同年、千葉亀雄賞受賞を受賞。これがきっかけで大阪毎日新聞社への入社が決まる。美術欄の担当となった。それから10年間新聞社で働くが、そこで「徹底的に調べて書く姿勢」が身についた。太平洋戦争の時は入隊するが、脚気になって数ヶ月で除隊となる。

新聞小説で人気作家になる
戦後、堰を切ったように書き始める。野間 宏のすすめもあって、詩から小説へ移行した。“読んで面白い作品”を目指したのは、ジャーナリズムの世界に身を置いていたからだろうと言われる。昭和25年(43歳)、『闘牛』により第22回芥川賞を受賞。これを機に新聞社から身を引いた。 新聞小説全盛期・週刊誌の発達期の波に乗って、『あした来る人』(昭和29年)、『氷壁』(昭和31年)などが反響を呼ぶ。また、西域や中国を舞台にした『天平の甍』(昭和32年)、『敦煌』(昭和34年)、日本の歴史を扱った『風林火山』(昭和28年)などの佳作も生まれる。

作家としての大転換
昭和35年(53歳)、ジンギスカンを扱った『蒼き狼』を発表。ところが、同作品は大岡昇平から痛烈に批判された。大岡の言葉を以後の作品に真摯に生かし、物語の面白さを第一にするのではなく、歴史小説においては史実を重んじるようになる。老いや死を見つめた作品、鎖国下のロシヤ漂流民を描いた『おろしや国酔夢譚』(昭和43年 61歳)、千利休の死を描いた『本覚坊遺文』(昭和56年 74歳)が書かれる。 歴史小説を中心に外国語に訳され、ノーベル文学賞の候補にもなった。

平成3(1991)年、急性肺炎のため、死去。83歳だった。墓所は、静岡県湯ヶ島熊ノ山共同墓地( )。


参考文献

●『新潮日本文学アルバム 井上 靖』
(新潮社 平成5年)

●別冊1億人の昭和史『昭和文学作家史』
(毎日新聞社 昭和52年)P.230-234

●『大田文学地図』
(染谷孝哉 蒼海出版 昭和46年)P.130


参考サイト

松岡正剛の千夜千冊/井上 靖『本覚坊遺文』→

文庫本限定!井上靖作品館→

ウィキペディア>ノーベル文学賞→


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※当ページの最終修正年月日
2008.2.16