池部良といったら、まず『昭和残侠伝シリーズ』が思い浮かぶ。ここで、高倉健の相方として登場する池部がなんとも、良かった。作中、健さんに「きょうでぇ(兄弟)」と呼びかける語り口が耳に蘇るようだ。

さて、この『風が吹いたら』は、この、俳優・池部良のエッセイ集だ。タレント本でゴーストライターがいる、そういった類いかと思いきや、この内容の濃さは本人にしかまず書けまい。小奇麗に、感動的にまとめないで、自分を丸裸にしているところに説得力がある。さすがは日本文芸大賞を受賞(平成3年)するだけの腕前だ。

丸裸といえば、ヰタ・セクスアリス(自身の性の来歴)であるが、これをどう描くかが、作家の資質を分けると私は考える。『風が吹いたら』のそれは、実に正直で、大いに共感でき、でも、赤裸裸といってもベタつかないところが、いい。面白くって、そして、泣かされた。この『風が吹いたら』は、ヰタ・セクスアリスに割かれている頁がかなり多いのである。

女郎屋に遊びにいったら映画俳優の池部と知られ「あんたが来る所じゃないのよ」と優しく諭されたり、入隊してから隊長に「ファンからの手紙を焼き捨てろ」と言われて溢れくる涙を必死にこらえたり、騙されたり、ひっぱたかれたり、誤解されたり、ある女優のアソコに触れてしまったり・・・、とよくここまで正直に書けるものだ。

あまり、紹介してしまうのも何なので、最後に一つだけ、馬込作家の志賀直哉と親交があった池部が、ある日、志賀に「池部君、女ってものはきれいなもんだと思うかい?」と語りかけられる下りがある。その後に志賀の考えが開陳され、池部の経験談が添えられ、笑いながらもえらく納得させられた。


『風が吹いたら』について

俳優の池部良のエッセイ集。昭和62年、文藝春秋社から発行される。平成6年、同社で文庫化。


池部 良について

馬込文学圏で生まれる
大正7(1918)年 2月11日、東京都大森で生まれる。父親は漫画家・画家の池部鈞で、母親は鞘町小町といわれた人。立教大学文学部英文科卒。在学中より東宝のシナリオ研究所に学ぶ。監督希望だったが、島津保次郎監督の『闘魚』で一躍スターとなった。昭和17年、召集され、中国・ニューギニアで任務に当たる。昭和21年帰還(帰還時中尉)。『青い山脈』『石中先生行状記』『坊ちゃん』『雪国』『暗夜行路』など文芸ものを演じ、二枚目スターから徐々に演技派としても認められる。『昭和残侠伝シリーズ』(昭和40〜47年)で高倉健の相棒役を好演し、新境地を開いた。昭和53年より日本映画俳優協会の理事を務める(平成20年改選)。

エッセイストとして活躍
1990年代から文筆活動が中心になる。平成3(1991)年『そよ風ときにつむじ風』で日本文芸大賞を受賞。他の著書に『池部良の男の手料理』(昭和61年 中央公論社)、『つきましては、女を』(平成8年 扶桑社)などがある。


馬込文学圏と池部 良

臼田坂の途中に実家があった。入新井第二小学校に通う(※1)。俳優になってから、馬込作家原作の作品に多く登場。『雪国』(川端康成)、『暗夜行路』(志賀直哉)、『青い山脈』『石中先生行状記』(石坂洋次郎)、『風立ちぬ』(堀 辰雄)などに、主に主演している。志賀は自身の作品の映画化を固く拒んだが、「池部が主人公をやるなら」と『暗夜行路』の映画化を承諾した。

石坂洋次郎とは、馬込文学圏在住期間が重なり、石坂の妻は、当地で子どもの頃の「めんこい」池部を見かけている。池部は後年、石坂夫妻と親交があった。

作家別馬込文学圏地図「池部良」→


参考文献

●『風が吹いたら』
(池部良 文藝春秋社 昭和62年)
※1:「我が家と、通っていた小学校のちょうど中間を横切って池上街道が走っていた」(P.18)


参考サイト

ウィキペディア/池部良→

日本映画データベース/池部良ページ→

日本映画俳優協会→
※池部氏の近影あり


このページへのパス


※当ページの最終修正年月日
2008.5.8