何かのせい
ケンサク 2008/05/22(Thu) 23:12 No.738

三島由紀夫だったかが
「何かのせいにするなよ」とかいうことを
どこかに書いていました。

たしかに、

時代のせいにしても、
政治、社会、教育、経済、法律のせいにしても、
テレビ、インターネット、マンガ、
その他もろもろメディアのせいにしても、
親、子ども、家族、妻、夫、姑、嫁、他所様、友達、クラスメイト、先生、クライアント、ベンダー、社長、社員、部長、係長、部下、コンビニの店員、その他もろもろ、人のせいにしても、
学校、家庭、役所、地域、国家、他国、世界のせいにしても、
若い奴らのせいにしても、年寄りのせいにしても、
古くさいもののせいにしても、新しいもののせいにしても、
少子化のせいにしても、人口過多のせいにしても、
制限したせいにしても、制限しなかったせいにしても、
忙しさのせいにしても、仕事がないせいにしても、
貧しさのせいにしても、豊かさのせいにしても、
経済が停滞しているせいにしても、経済が中心になっているせいにしても、
便利になったせいにしても、不便なせいにしても、
生育歴、性別、年齢、学歴、健康状態、天候のせいにしても、
運勢、運命のせいにしても、

あんがい、本当は、
自分(自分たち)だけを特別扱いして、
「自分ができることをやらないで、なんとなく不機嫌(不安)になっているだけ」
ってことも多そうです。

これは自分にいうのですが、
せめて、せめて、話すことの半分は、「〜のせい」じゃない話にしたいです。


発見3つ
ケンサク 2008/05/08(Thu) 15:12 No.737

馬込文学に関する、ちょっとした発見を3つばかし。

犀星はゴリという名のブルドックを飼っていましたが、
なぜそのような名を付けたか?でした。
犀星の時代には、まださすがに「太陽に吠えろ」はやっていませんから。
そうしましたところ、最近、謎が解けました。
落語の演目『鰍沢』について調べてましたら、
鰍は、「かじか」であり、別名「ごり」。
東北・北陸地方以北に分布し、
そこでは食卓にふつうに乗るようなのです。
(関東の市場にはほとんど出ないとのこと)
ゴリの佃煮は金沢名物なんだそうで、
金沢出身で食べ物大好きの犀星が知らないはずない、
というわけです。
それで、ブルドックの「ゴリ」、鰍(ゴリ)に顔が似ていたんでしょうかね?
けっこう、怖い顔ですが・・・
参考サイト:食材辞典/かじか(鰍)→

次は、ちょっとびっくりで、軽くショックを受けたことなんですが、
三島由紀夫夫人の平岡瑤子さんについて調べていたら、
なんと昭和12年生まれなのですね。
お亡くなりになったのもけっこう前(平成7年)なので、
お年を召した方を想像していました。
すると、三島由紀夫が自害した昭和45年ではまだ33歳ほどですよ!
ずいぶんお辛かっただろうと思います。
瑤子夫人のその後の凛とした活動をひもとくにつけ、
尊敬の念を禁じ得ません。
参考サイト:
ウィキペディア/平岡瑤子→

3つ目は、ちょっとしたことですが、
先日、鷺沢萠(めぐむ)さんのホームページを閲覧していたら、
8つ挙げられている愛読書の1冊が、
馬込文学圏(山王3丁目)ご在住の小関智弘さんの『羽田浦地図』でした。
ただそれだけのことですが、
なんだか嬉しくって。
作家・鷺沢萠の公式サイト→


似た快感
ケンサク 2008/04/25(Fri) 15:10 No.736

ずっと前の、若かりし頃の話だが、
岩登りに専念するために、けっこう一生懸命やっていたギターを止めた。
それから25年ばかりは登りに登って、
数年前「登らない」と決めた時、もう止めている理由がないことに気がつき、
自然とまたギターを抱えるようになった。

ギターはすごい下手っぴになっていた、
というか元からそうとう下手だったので、
自分でいうのもなんだが、最近の伸び率はけっこういいかもしれない。
バッハのシャコンヌ(BWV1004) も息絶え絶えの、
“瀕死のシャコンヌ”だが、
なんとか終わりまで弾けるようになった。

毎日登っていたのだから、
今、ギターも毎日弾くようにしている。
これがいいのかもしれない。
ギターが手元になくて弾けない時などは、
バックにひそませた楽譜や技術書をかじる。
我ながらかなり粘着気質だなと思う。

そして弾く時間は、興が乗っても乗らなくても、1時間。
「もう少し弾きたい」感じもあるが、
その「もう少し弾きたい」が次の日のモチベーションに繋がっているようにも思う。
なんとなくかったるかったり、または眠くってギターを持つ気がしなくても、
ともかく1時間は抱えてみる。
抱えて眠ってしまうこともあるが、そんな感じでも1週間も続けていると、
8日目には何かが繋がってくるから不思議なものだ。
そこらへんの物事への関わり方は岩登りから学んだことなので、
アホみたいに岩登りばかりやっていた25年間も案外無駄でなかったかも。

そうそう、ギターで、どうしても指が届かなかった所にある日ふと届いて、
和音が響いてゾクッとする。
届かなかったホールドに、
500回目ぐらいのトライで指先が引っかかって登れる時の快感によく似ている。


音楽の器を変えてみた
ケンサク 2008/04/06(Sun) 18:29 No.735

変えるときはいろいろと一気に変えてしまうのがいいようです。
PCはメインをIntel Macにし、
OSは10.5.2にして、
ソフトもCS3とOffice2008とし、
フォントはモリサワパスポートにしました。

ついでに、趣味の範疇ですが、iTunesとiPodを導入して、
本箱を占拠しているCDをすべて片付けてしまおうと企んでいます。
CDにはさみを入れて捨てるのには最初勇気が必要でしたが、
今はもう慣れ、スパッ・ポイ、スパッ・ポイやっています。
ようやく本箱に隙間ができて、
床でホコリを被っている馬込本を本箱に収められるのが、
かなりうれしい。

iTunesとiPodを使っての感想ですが、
かなり良いですね〜。
昔すり切れるほどに聴いたアルバムからも、
CDケースとジャケットの劣化・色あせとともに遠のいていましたが、
iTunesとiPodを使って改めて聴くと新たな感動がよみがえってくるのです。
気のせいでしょうか?

友川かずきの「無惨の美」なんかは、
あまりにヘビーなんで数年CDケースを開ける気になりませんでしたが、
iPodでちょいと軽く聴くと、やはり大感動ですね。
気になっていたエレファントカシマシの「ガストロンジャー」も
ダウンロードして聴いています。

そんなで、最近まただいぶ音楽を聴くようになっています。

ウィキペディア/友川かずき→

ウィキペディア/ガストロンジャー→


『めがね』
ケンサク 2008/04/05(Sat) 03:04 No.734

この前、“私の映画地図”にちょっと異変が起きるような1本に出会いました。

『めがね』っていう変なタイトルで、
「何で『めがね』なの?」っていまだよく分からないですが、
何とも沁みました、この映画。
愛や友情や正義を描いた作品は多いですが、
このような形で“連帯”を描いた作品を、私は他に知りません。
恋人とか、友達とか、家族とか、自分の子どもとか、
そういう人が身近にいても、いなくとも、
人はやっぱり少しずつは孤独なもんだと思いますが、
それでいいんだよな〜、と優しい気持ちになれる、
そういう映画でした。

孤独はそこに落ち込むものではなく、
誰もが持っていてそれに気付くもの。
この映画には「たそがれる」という言葉が随所に散りばめられていますが、
それですね。

映画「めがね」公式サイト→