6月28日、東京芸術劇場における、
読売交響楽団によるメシアン(1908-1992)の『われらの主イエス・キリストの変容』。
2時間近くの大曲だった。
また、100名を越える合唱団と4管編成以上の管楽器と70名からなる弦楽器、
約30種からなる打楽器とチェロ・ピアノ・マリンバなど7種の独奏楽器の大編成。
指揮するのは若杉弘氏だ。
作曲家のことも曲のこともぜんぜん知らなかったが、
若杉氏がどんなことをやってのけるか、
それだけの興味で財布を叩いてチケットを購入、聴きにいった。
現代音楽はつまらないなぁ、どれも同じに聴こえるなぁ、
のわたしである。
が、今まで一度も聴いたことがない音が散りばめてあり、その交錯と響きと炸裂。
不協の和音が洪水のように圧倒的に押し寄せて来て、心地よく飲み込まれる。
「宗教的な恍惚感?」というような、
ずんわりとした心地よさに満たされた。
普通だと、演奏が始まると客席が暗くなりステージに照明が集中するが、
この日に限って、客席とステージが同じ明るさだったように思う。
これが、「演奏側と客席側との連続性」を演出し、不思議な一体感を出していた。
これも若杉氏のお考えだろうか。
聴きながら、戦後(西洋では第一次大戦後、日本では第二次大戦後)の音楽は、
必然なのかもしれないと考えていた。
ちょっと聴いただけだとどれも同じに聴こえる、混沌とした、
曲の主題など探しようもない、難解な、いわゆる「現代音楽っぽい」、
合唱団も、弦も、管も、マリンバも、ピアノも、チェロもそれぞれが関連ない音を出し、
音のアナキズム。
一つの主題を斉唱するような箇所は一カ所もなかった。
でも、一つ一つの音に注意をこらすと、
それぞれがきっちり音を出しているのは驚きだ。
多様な在り方がそれぞれの存在感を持ちながら共存している。
そして、バラバラがバラバラのまま絶妙なバランスで響きあい大伽藍が出現する。
ベートーベンやマーラーを突き詰めるとこうなるのだろうか?
まさに現代かな?
今回この難曲を驚異的な大編成で企画・実行した若杉氏はチャレンジャーだ。
神々しくさえあった。
問題は一つ、
演奏が終わり、
この大作をなしとげた指揮者や楽団員や合唱団がまだステージに残っていて、
拍手が鳴り止まないというのに、
おしっこが我慢できないのか、帰りの電車が気になるのかは知らないが、
パラパラと席を立つ観客がやけに目立った。
恥ずかしい。 |