下記サイトに松岡正剛氏の「分母によって分子の意味が変わる」という言葉がある。
上手いことをいうな、とえらく関心した。
「テロ」も、分母に「ナショナリズム」をもってくるか
「民主主義」をもってくるかによって意味が大きく変わってくるという。
参考サイト:
松岡正剛の千夜千冊>『負ける建築』隈 研吾→
こんなことがあった。
三浦じゅん氏ではないが、私も小学校高学年あたりから中学時代にかけて仏像マニアだった。
(三浦氏と私はほぼ同年代。やはり、ウルトラマンの影響か・・・)
ある日、鎌倉の覚園寺(円覚寺ではありません)というお寺さんにいったら、
他に拝観者はおらず、中学生だった我々二人だけをつれて、
お寺の住職さん自らがお寺の隅々までを案内してくださった。
お住職さんは、お堂に入ると、まずは線香をたいて祈祷する。
この宗教的な真摯な雰囲気に心打たれた。
そして、寺内の薬師堂。
正面の薄暗がりの中から、木彫の薬師三尊の慈顔が少しずつ浮かび上がってきた時、
本物に出会ったような気がした。
その時の感動は、今も生々しい。
時と所は変わって、中学の修学旅行の時。
定番の京都・奈良だった。
一番の楽しみは、阿修羅像に相見えることであったが、
行列を作って見たガラスの中の阿修羅像の、ちっぼけでつまらなかったことといったらない。
写真集で眺める方が、よっぽどましと思った。
(この時あたりから、博物館・美術館にあまり興味がなくなった)
何が言いたいかというと、「仏像」を分子とした場合、
分母が「本来ある場所」か、
「展示場」かで全くの「別物」に化けるということだ。
先日、久しぶりに、山下和仁氏のギターで、
バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第2番を一楽章から最終楽章の『シャコンヌ』まで通して聴いてみた。
で、発見したのだが、一楽章から聴いていくと『シャコンヌ』の冒頭の「poco F=(「少し強く」という意味の音楽記号)」の箇所は「そうとう弱く」っていい。
山下氏はそのように演奏していた。
『シャコンヌ』直前の四楽章『ジーグ』でぶっ飛ばしたのであれば、
『シャコンヌ』の冒頭は、ほっと息を抜くぐらいの音の方が効果的なんだなと思った。
何が言いたいかというと、『シャコンヌ』もその一楽章だけを演奏する時と、
全ての楽章を通してやる時とでは、弾き方が違ってくる。
弾き方を変えた方が面白いということだ。
「シャコンヌ」という分子も、「一楽章演奏」「全楽章演奏」と分母が変われば変化する。
最後に、書籍のレイアウトについて。
一つのぺージのレイアウトだけを取りだして
「どう」「こう」言えないのは、
その1ページも、全てのページの中の1ベージだからだ。
本全体という分母がある。
他のページとは違ったテイストを出した方がいい場合もあれば、
他のページを踏襲した方がいい場合もあろう。
特に隣り合ったページとの関係は重要だ。
こんな具合に、ちょっと思いめぐらしただけでも、
「分母によって分子が変わる(を変えた方がいい)」の実例を簡単に挙げることができる。
「これっきゃない」と思う時も、ちょっと踏みとどまって、
分母を変えて考えるクセをつけたいものである(自戒)。

|