芝楽
tomkoba 2006/09/01(Fri) 18:14 .634
やっと手に入れました。
詩人 石川善助 そのロマンの系譜
・・・とりあえず。

  Re: 芝楽
ケンサク - 2006/09/01(Fri) 19:00 .637
 

tomkoba様
お久しぶりです!

>詩人 石川善助 そのロマンの系譜
実はわたしも先日手に入れ、
毎晩、梅酒をちびちびやりながら読んでいます。
石川善助はそうとうな詩人なんだと、今更ながら驚いています。
評伝自体もたいへんな力作かと思います。


己を虚しくする
ケンサク 2006/08/29(Tue) 00:44 .632

最近「自分を主張することの恥ずかしさ」を大切にして仕事している人のことをよく耳にする。

先日、指揮者の金 聖響(きむ・せいきょう)さんへのインタビューを聞いていたら、やはりそのようなことを言っていた。彼が伝えたいのは、楽譜に書かれていること以上のことではない。演奏に自分の個性を盛り込むなんてことには全く興味ないという。伝えたいのは、たとえばベートーベンの5番なら5番の偉大さ。ただそれだけで十分だという。

今、注目されている建築家の隈 研吾さんも、モニュメンタルな立派過ぎる建造物をこれ見よがしに作ることは、とっても恥ずかしいことだという。彼が展望台を設計した。彼が設計した展望台は、展望台の機能は果たすが、それが建つ山の麓から展望台そのものは見ることができない。展望台を作った後に周りを埋め直して木を植えて展望台の姿を隠したという(瀬戸内海の亀老山展望台)。

文章・写真・図版を組み合わせてレイアウトする雑誌デザインなども、基本は己を虚しくすることに尽きるのだと思う。コンテンツを生かすことがデザインの目的なのだから、コンテンツよりもデザインが目立ったとしたら、それはやはり恥ずかしいことなのかもしれない。コンテンツがどうしようもなく弱い時(ない時)以外は、デザインは黒子でありたいと思っている。

デザインと違ってアートは作家のスタイル(作家性)が重要と言われてきたようだが、それでもやはり、自分の作品にでかでかとサインすることに恥ずかしさを覚える心ある作家が増えていると思う。

「ぼくが ぼくが」の文化は使命を果たし、静かに終わろうとしているのかもしれない。


それぞれが、それぞれの
ケンサク 2006/08/20(Sun) 19:06 .625

巷でそれほど騒がれなくなったようなので
『バカの壁』というのを読んでみた。

自分が「バカ」呼ばわりされないために、またはちょっぴり人を「バカ」呼ばわりしたいがためにこの本を読んだとしたら、「当てが外れた」となるのかもしれない。
だって、この本、みんな、みんな、大なり小なり「バカ」なのですよ、といっているのだから(?)。

どこかに一つの正解(真理)があるわけではなく、
それぞれがそれぞれ違ったものを不完全な形で持っていて、
それぞれ違った不完全なもの同士が、それぞれ自他の不完全を認識しながらコミュニケーションしていくしかない、という一つの主張だと思う。

そうだ、自分のことをまだまだ(バカ)だと思うから、勉強しようとも思うのだし、自分と違ったタイプの人とも交わってみようとも思うのだろうな(自戒)。


「ひろず」
クマ 2006/08/12(Sat) 08:20 .611
日々の話題ありがとうございます。
ところで、「ひろず」とは飛竜頭のことでしょうか?
朝子さんが材料を届けての作成とあるので
金沢の特産のような気もしますが、いかがでしょうか?

  Re: 「ひろず」
ケンサク - 2006/08/12(Sat) 08:49 .612
 

クマ様
いらっしゃいませ!

>「ひろず」とは飛竜頭のことでしょうか?
インターネットで調べてみたところ、そのように書いている方もいらっしゃいました。
ええ、金沢の特産のようです。
「ふるさとは遠きにありて」の詩人、ふるさとを大切に思っていたんですね。


ピアノによるシャコンヌ
ケンサク 2006/08/08(Tue) 12:18 .603

バッパのシャコンヌ(BWV 1004)は本来バイオリンのためのものですが、今ではギターでもよく演奏され、またマリンバでの演奏も聴いたことがあります。他の楽器ではないかなと探してみたら、ありました。ピアノによるもので、ブゾーニ編曲のものと、ブラームス編曲のもの。

ブゾーニによるものはけっこうメジャーなようで、現在若手ナンバーワンの声も聞かれるピアニストの及川浩治さんなども弾くようです。トルコ生まれのファジル・サイという方のを聴いてみましたが、バイオリンやギターのシャコンヌにさらに音の広がりとスピード感が加わり、違った面白さになっていました。途中、ガン・ガン・ガン・ガンとフリージャズのピアノのような音が入り、思わずにんまり。ブゾーニの編曲によるものか、ファジル・サイの解釈によるものかは分かりませんが、バッハが聴いたら驚くだろうなぁ。

ブラームス編曲のシャコンヌは舘野泉さんによる演奏。舘野さんは脳溢血による右手麻痺があるため、なんと左手一つでのシャコンヌです。再起後に出した初のアルバムの最初の曲がシャコンヌだということに心打たれました。希望を与えてくれるシャコンヌ。


  Re: ピアノによるシャコンヌ
ケンサク - 2006/08/10(Thu) 00:28.605
  ビオラやチェロでも演奏されるようです。