添田唖蝉坊

添田唖蝉坊

そえだ・あぜんぼう。明治5年、神奈川県大磯の農家で生まれの演歌師。海軍兵学校受験のため上京。浅草の小屋芝居と壮士節に出会って演歌の世界へ入り、「ラッパ節」「ああ金の世」「ノンキ節」など182曲を残す。社会党評議員、東京下谷山伏町での貧民救済活動、演歌組合青年親交会を設立を経て、関東大震災後は放浪する。昭和19年(71歳)、当地(東京都大田区東馬込二丁目)の長男・添田知道方で息を引き取る。参考サイト:ウィキペディア/添田唖蝉坊→

※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典:ウィキペディア/添田唖蝉坊(平成25年11月11日更新版)→

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