●『天上の花』・・・萩原葉子(はぎわら・ようこ)の作品。昭和41年「新潮」(3月号)に掲載された。新潮文学賞と田村俊子賞を受賞。芥川賞の候補にもなった。


“純粋”が美しいかというと、そうとも限らない。

この小説は詩人の三好達治について書かれたものだが、書名の“天上の花”が象徴しているように彼は“純粋”な魂の持ち主として描かれる。しかし、途中で本を踏みつけたい、そんな衝動に駆られるほどその“純粋”が醜かったりするのである。 

若い頃、三好は萩原朔太郎の妹の慶子に恋するが、その“純粋”な気持ちは、経済的な理由という極めて世俗的な理由で拒絶される。しかし、慶子のことを想い続けた三好は、15年後に再度慶子に求婚するのであった。三好は妻子も棄てる覚悟だ。慶子との生活に全てをかけようというのである。評価は分かれようが、自分の気持ちに忠実という意味ではやはり彼は“純粋”といえようか。今回は、夫を病で失って心細い慶子である。三好の言葉でその気になるのである。その頃の三好は詩人として有名になっていて、その知名度というやはり極めて世俗的な理由が背景にある。

そして、二人の生活が始まるわけだが、こんな“天上”と“地上”の両極端のような二人が上手くいくはずもない。三好の“純粋”は目に見えるものは軽視した。慶子を気持ちの上では熱く迎えても、迎えた家は埃だらけ。最初から彼女を幻滅させる。三好は亡夫のように粋なところもなければ、優しくもない。

慶子の幻滅はその行動に表れ、三好の“純粋”は更に傷つく。そして、いよいよ“純粋”の反撃が始まるのだ。あんなにも憧れていたはずの慶子に、三好は激しく暴力を加えるようになるのであった。

言い終わらないうちに、私は三好に髪の毛を引っぱられて、二階から引きずり下ろされていた。そして荷物のように足蹴にされたり、踏まれたりした。後頭部の疵口と目から血が吹き出ても、まだ打ち続けられた。気違いになったのだろうか。私は三好にこれで殺されると、半ば意識を失いかけながら思った。そして血まみれになった雪の夜道を、警察まで夢中で逃げ込んだ。雪の上に真っ赤な血痕がぽた、ぽた落ちるのが夜目にも見えたところまで、記憶していた。
(『天上の花』より)

と慶子の手記が語る。

弱いものや悲しむもの、病に苦しむものに対し人一倍優しかったはずの、そして一途で“純粋”な三好のこの変貌は、どうしたことか。まったく唾を吐きたい気分になる。

“純粋”は純粋でいいようなものだが、純粋であるがためにそうでないものに対して不寛容なのかもしれない。たとえば世俗的なものに対しては。あるいは、不寛容だから“純粋”なのだろうか?

なんだか、訳が分からなくなってきた。


『天上の花』を読むには

『天上の花』(新潮社 昭和41年)
『潮文庫 天上の花』(潮出版社 昭和47年)
『新潮文庫 花笑み・天上の花』(新潮社 昭和55年)
『講談社文芸文庫 天上の花』(講談社 平成8年)

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萩原葉子について

大詩人を父に持つ
大正9(1920)年9月4日、東京本郷で生まれる。父親は萩原朔太郎。昭和4年(9歳)、両親が離婚。前橋の祖父母の家に預けられ、祖母に育てられた。昭和6年(11歳)東京に戻り、父、祖母、叔母、妹との4人暮らしとなる。祖母は、息子(葉子から見て父親の朔太郎)と娘(葉子から見て叔母)を愛し、孫の葉子と妹のことは出奔した母の淫乱な血が流れているといって嫌った。昭和19年(24歳)、英文タイピストをしている時、会社の上司と結婚(10年後に離婚)。昭和21年(26歳)には長男の萩原朔美氏を出産した。翌年、妹を施設から引き取り、生活を支えるためミシンの内職も始めた。昭和32年(37歳)頃から文章を書き始め、「青い花」などに発表。室生犀星三好達治から励ましや指導を受けた。

苦労を背負ってペンを執る
昭和34年(39歳)、『父・萩原朔太郎』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。昭和38年(43歳)、母も引き取り、母と妹の世話に追われるようになった。執筆は自宅近くに借りたアパートで行う。翌年、過労で倒れる。回復後はフラメンコなどのダンスやオブジェ制作も始めた。昭和41年(46歳)、『天上の花』を出版。昭和51年(56歳)、『蕁麻の家(いらくさのいえ)』を発行、評判になり多忙な日々となる。
平成17(2005)年7月1日、播種(はしゅ)性血管内凝固症候群のため逝去された。84歳( ) 。


萩原葉子と馬込文学圏時代

東京都大井町、田端、鎌倉材木座を経て大正15年(6歳)、父母に連れられて東京都大田区南馬込3-20-7南馬込3-23?)に来る。昭和2年(7歳)から1年半、馬込尋常小学校に学ぶ。昭和4年(9歳)、前橋へ帰る。 子どもの時分、約3年間、馬込文学圏に身を置いたことになる。


参考文献

●『作家の自伝78 萩原葉子』
(日本図書センター 平成10年)

●『馬込文士村ガイドブック 改訂版』
(大田区立郷土博物館編 平成8年) P.66-67


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※当ページの最終修正年月日
2006.8.28