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「山羊の首」の意味(昭和23年12月4日、三島由紀夫が短編『山羊の首』を発表)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三島由紀夫

昭和23年12月4日(1948年。 三島由紀夫(23歳)が、雑誌「別冊文藝春秋」に、『山羊やぎ の首』という短編を発表しています。

三島は『仮面の告白』を描き下ろすため3ヶ月前(昭和23年9月。23歳)に大蔵省を辞めました。『仮面の告白』が発行されるのは翌昭和24年7月ですが、その間、初の長編『盗賊』、短編集『夜の支度』(「サーカス」を収録)、『宝石売買』を発行し、『大臣』を脱稿、戯曲「火宅」「愛の不安」「燈臺」を発表、その他諸々の執筆もこなしています。『山羊の首』もその間に書かれた一つです。

ちょいちょいと女を引っ掛ける男が出てきます。ところがある日、男が、野っ原でことを致していると、「切断された山羊の首」がぬっと出てきます。戦中の食料難のおりで、盗まれた山羊が食われた痕なのですが、このあと戦後になっても、男がことを致し終わると必ずその「山羊の首」(のイメージ)が現れるようになるのでした。このおぞましい「山羊の首」の出現によって、彼のあいびきはことごとく1回で台無しになります。

そこに一人の夫人が現れます。男にとって、その夫人だけは特別でした。彼女は昔心惹かれた人の面影を宿していたのです。この夫人とだけは「山羊の首」が現れない形で愛したいと「純潔」に願うのでした。と、ここからが山場ですね。

ところで、この小説に出てくる「山羊の首」とは、何なのでしょう?

山羊は旧約聖書の時代、生贄いけにえとしてほふられたり(命を奪われたり)、人々の罪を背負って野に放たれました(「スケープゴート」(贖罪しょくざいの山羊)。現在では意味が派生して、人々の負の感情が転嫁されて犠牲になる対象を指す)。『山羊の首』の中の山羊も、戦中の食糧難のおりの、もっといえば、戦争、人間の さが によって犠牲になったものを象徴しているとも考えられます。

「山羊の首」は清浄で、威厳に満ち、深い色の瞳をもっています。その瞳に出会うと、男は自分と関係している女を「牛蒡ごぼうの切れっぱしよりももっと無意味で滑稽こっけい なもの」に感じられるのでした。何らかの気づき、倫理、違和感、罪悪感といったものを象徴しているようにも読めます。

女の「純潔」をセックスゲームの一素材くらいにしか考えてこなかった男にも、(「山羊の首」のお陰で?)、自身の「純潔」に目覚める瞬間が訪れます。しかし、その瞬間・・・。

このように象徴的な事物を効果的に使った作品が他にあるか漁ったところ、やはり三島作品ですが、戯曲『喜びの琴』が目に止まりました。物語が進むに従って“喜びの琴”の象徴的な意味が明らかになる仕掛けになっていたと記憶しています。

全4巻からなる三島の最晩年を大作『豊饒の海』Amazon→の「豊饒の海」には、どんな象徴的な意味が込められているのでしょう。

「豊饒の海」は、「月の海」(月の玄武岩に覆われた平原部。月で黒く見える所。ケプラー(ドイツの天文学者。1571-1630)は水がたたえていると考え、mare(ラテン語で海の意)と命名)の一つで、今は「豊かの海」と呼ばれることが多いようです。月の表側には団子状に「晴れの海」「静かの海」「豊饒の海」(下図参照)と3つ並んでいます。

月の海(豊饒の海、静かの海、晴れの海)

米国の月探査機「レインジャー8号」が「静かの海」に衝突し、衝突前の23分間に7千枚以上の月面の高解像度写真を撮影、その電送に成功したのが昭和40年2月20日で、「豊饒の海」の第1巻『春の雪』の起筆がその年の6月頃です。「レインジャー8号」の報道で、三島は「月の海」を意識したかもしれません。

しかし、「豊饒の海」というタイトル自体は、「豊饒の海」を起筆する20年も前、詩集を出版する話が持ち上がったとき、採用しようとしていたことが、次の書簡からわかります。

・・・この詩集には、荒涼たる月世界の水なき海の名、幻耀げんようの外面と暗黒の実体、生のかがやかしい幻影と死の本体とを象徴する名『豊饒の海』といふ名を与へよう、とまで考へるやうになりました。・・・(昭和21年1月9日づけ斎藤吉郎あての三島(20歳)返信より)

「豊饒の海」で何を象徴しようとしたか、ずばり書かれています。「豊饒の海」の最終巻『天人五衰』を完結させるのは、上の書簡から24年も経ってのことですが、その結末を読むと、三島が“豊饒の海”という言葉で24年前と同様のことを象徴させようとしたのが分かります。全4巻を通じて、主人公が体験してきたさまざまな“豊饒”が、実はすっかり“虚無”であったことが、最後の数行でさりげなく明かされます。

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以上「象徴」という言葉を使ってきましたが、上の3つの三島作品にみられた、言葉で何かを例える働きは、「寓意」といった方がいいかもしれません。

象徴」は「主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの」(「岩波 国語辞典」)で、例えば、ハート形という具体的なものが抽象的な愛という概念を象徴したりします。その象徴する概念は、長年にわたる、様々な地域における、様々な作品や行為によって上書きされていきますが(ヘイト集団や自国第一主義者が日の丸を掲げれば、そこに独善的で暴力的なまがまがしいイメージが付与される)、多様で、重層的であっても、シンプル。

寓意」というと、イメージや意味がより複雑で、あるいは限定的に、より強い意味(メッセージ性)を持つような気がします。「山羊」といえばシンプルに「犠牲」が象徴されますが、「山羊の首」となるとよりリアルに迫ってくる感じで、『山羊の首』の男を、裁き、追い詰めていく存在というところまで寓意されるようです(『山羊の首』には「寓意画めいた印象」の一節がある)。

「豊饒の海」と最初に命名した人がなぜ「豊饒」(豊か)としたのか分かりませんが、そこに「虚無」という意味を付与したのはおそらく三島でしょう。アポロが飛んでいった先の「海」は水が一滴もない荒涼とした“海”でした。科学の進歩の先にあるのが「虚無」のみならず、「人心の荒廃」でもあった、なんていうオチにならないといいですね・・・

三島由紀夫『ラディゲの死 (新潮文庫) 』。17歳頃から31歳頃までに書かれた短編集。「山羊の首」を収録 アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』(大修館書店)
三島由紀夫『ラディゲの死 (新潮文庫) 』。17歳頃から31歳頃までに書かれた短編集。「山羊の首」を収録 アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』(大修館書店)
中野京子『怖い絵 (角川文庫)』。絵に込められた寓意を知って震える 河合隼雄『イメージの心理学 (新装版)』(青土社)。人類の意識に堆積されたイメージの断片から、芸術、宗教、セラピーを語る
中野京子『怖い絵 (角川文庫)』。絵に込められた寓意を知って震える 河合隼雄『イメージの心理学 (新装版)』(青土社)。人類の意識に堆積されたイメージの断片から、芸術、宗教、セラピーを語る

■ 馬込文学マラソン:
三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→

■ 参考文献:
●『三島由紀夫研究年表』(安藤 武 西田書店 昭和63年発行)P.53、P.70-77、P239 ●「寓意」「象徴」 ※「岩波 国語辞典(第三版)」(昭和38年第1版第1刷発行 昭和60年発行第3版第9刷参照)の項目

※当ページの最終修正年月日
2022.12.3

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