馬込文士村の発生
85年前の3月16日、東京朝日新聞の「学芸だより」欄が、尾崎士郎(25)の大森背斗入47への転居を報じました。「宇野千代(25)と寿館に投宿した」というのがこれにあたり、大森背斗入47は、新井宿(現、山王・中央辺り)にあった寿館の住所なのだと思います。
※背斗入は不入斗の誤植かもしれません。
尾崎士郎と宇野千代の馬込文学圏入りをもって“馬込文士村の発生”とするならば、このとき馬込文士村は発生したのです。この年(大正12年)の1月2日には二人はまだ本郷の菊富士ホテルにいたので、1月3日から3月16日までの間ということになります。二人が南馬込に居を構えるのは、2ヶ月後の5月です。
ちなみに、夫ある身の宇野千代の尾崎士郎との同棲は、朝日新聞なども取り上げ、国民新聞などは「夫婦道徳を無視した」ものとして社会面で大きく報じました。
参考文献:
・『評伝 尾崎士郎』
(都筑久義 ブラザー出版 昭和46年)P.112-117
・『馬込文士村ガイドブック』
(東京都大田区立郷土博物館編 平成8年)P.12-40
[馬込文学マラソン] 尾崎士郎の『空想部落』を読む→
[馬込文学マラソン] 宇野千代の『色ざんげ』を読む→
※当ページの最終修正年月日
2008.2.29
