「私は僧ではありません」

801年前の2月18日(旧暦)、鎌倉幕府の専修念仏の禁止政策により、親鸞が佐渡に流されました。

それまでの仏教では、救われるためには厳しい修行や多くの寄進、また出家することが必要でした。ところが専修念仏はそれらをいっさい必要としない。ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えることによって、何人も救われるというものです。高かった敷居が低くなって、身分や境遇の違いを越えて、仏教が広まるきっかけになります。

専修念仏の普及に脅威を感じたのが、寄進で成り立っていた旧仏教勢力で、彼らが陳情して、幕府をして専修念仏の弾圧に踏み切らせたというのがことの経緯のようです。

倉田百三の『出家とその弟子』には、専修念仏を真摯に説いて回る親鸞の姿が描かれています。

左衛門 (親鸞の衣の袖を握る)どうぞお待ちください。私は出家いたします。これからあなたのお供をいたします。どこまでも連れていってください。
親鸞 (感動する)あなたのお心はわかります。私は涙がこぼれます。けれどあなたは思いとどまってください。浄土門の信心は在家のままの信心です。商人は商人、猟師は猟師のままの信心です。だから私も妻も持てば肉も食うのです。私は僧ではありません。在家のままで心は出家なのです。形にとらわれてはいけません。心が大切なのです。
左衛門 でもあなたとこのままお別れするのはつろうございます。いつまた会われるのかわかりません。
お兼 せめて四、五日なりとお泊まりあそばして。
親鸞 会うものはどうせ別れなくてはならないのです。それがこの世のさだめです。恋しくおぼしめさば南無阿弥陀仏を唱えてください。私はその中に住んでいます。
(『出家とその弟子』より)

[馬込文学マラソン] 倉田百三の『出家とその弟子』を読む→

参考サイト:
[浄土真宗本願寺派宮石山福泉寺→

※当ページの最終修正年月日
2008.2.17