窮地に至って

94年前の2月3日付けの萩原朔太郎(28歳)の日記に、

「自分のやうな人間にとつて最も幸福な途は気違ひになることであらう。夢の中に生活するといふ一事であろう」

の一文があります。

朔太郎は、学業において落第、退学、受験の失敗を繰り返し、30歳を目前にしても望んだ学歴を持ち得ませんでした。父親は東大医学部を主席で卒業した秀才です。家族は長男の朔太郎に期待し、そして落胆したことでしょう。そうやって、朔太郎は、実家での居場所は無くしていくのでした。

上の一文には彼の絶望感がにじんでいます。しかし窮地に至って、朔太郎はいよいよ詩人として立つ決意を固めるのでした。初の詩集『月に吠える』でブレイクするのは、3年後の大正6年のことです。

参考文献:
『新潮日本文学アルバム 萩原朔太郎』P.31

[馬込文学マラソン] 萩原朔太郎の『月に吠える』を読む→

※当ページの最終修正年月日
2008.2.2