215年前の1月22日(旧暦)、大塩平八郎が大阪(阿波ともされる)で生まれました。
大塩は大坂東町奉行の与力でしたが、陽明学を深く学び、塾を開いて門人をとっていました。
天保の大飢饉(1836年)の時、豪商による米の買い占めによって苦しむ人々の姿に心を痛めた大塩は、奉行に訴え、豪商には自分と門人の禄米を担保に人々に米を買い与えるお金を借りようとします。が、共に受け入れられず、その後、大塩平八郎は、蔵書などを売却して飢饉に苦しむ人々の救済活動に当たりますが、焼け石に水。そして、とうとう武装蜂起を企てるのでした(大塩平八郎の乱)。
陽明学では「知行合一(ちこうごういつ)」という考えがあり、これは「知って行わないのは知らないに等しい」と解釈され、過激な実践主義を生むことともなりました。大塩平八郎の乱もその考えに則ったものなのでしょう。
陽明学に学んだ人は、大塩平八郎のほかに、中江藤樹、熊沢蕃山、荻生徂徠、上杉鷹山、二宮尊徳、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作らがいます。近年では三島由紀夫が陽明学に深い関心を寄せました。
[馬込文学マラソン] 三島由紀夫の『豊饒の海』を読む→
参考サイト
・ウィキペディア>大塩平八郎→
・山田方谷マニアックス>Oh! 陽明学>陽明学を志した日本人→