義民六人衆

この頃、新井宿村(現山王3丁目)は、干ばつや多摩川の氾濫で、田畠に致命的な打撃を被りました。年貢にあえぐ農民。農民の代表6人が選んだ最期の手段は、村の窮状を将軍に直訴することでした。前年の暮から、目的を達するべく村を立っていた6人。ところが、337年前の1月11日(旧暦)、彼らは捕らえられ、斬首されてしまうのでした。

後に妻子まで処刑されています。為政者に訴えごとをするのはこれだけ重い罪だったのです(今はいい世の中になったと思う)。

公のために取られた彼らの無私の行為は、後に讃えられ、そして今に語り継がれています。

参考文献:
・『大田文学地図』(染谷孝哉 蒼海出版 1971年)P.100
・『大田区史年表』(東京都大田区 昭和54年)P.255
・『義民六人衆事蹟』(義民六人衆顕彰会)

※当ページの最終修正年月日
2008.1.9